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正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

日蓮系は振り出しに戻る

日蓮さんの遺文にみる二乗は焼種(しょうしゅ)として他を利する能力のない利己主義者だと弾劾文章の一部です。

◎「二種の人有り必ず死して活きず畢竟(ひっきょう)して恩を知り恩を報ずること能わず、一には声聞二には縁覚なり、譬えば人有りて深坑(じんこう)に堕墜(だつい)し是の人自ら利し他を利すること能わざるが如く声聞・縁覚も亦復是くの如し、解脱の坑(あな)に堕して自ら利し及以(およ)び他を利すること能わず」(開目抄・真蹟)

◎「枯れたる木・華さかず山水・山にかへらず破れたる石あはず・いれる種をいず、二乗また・かくのごとし仏種をい(煎)れり等となん」(開目抄・真蹟)

◎「法華経は焼種(しょうしゅ)の二乗を仏となし給う」(上野殿御返事・日興写本)

ちなみにエゴイストの小乗と蔑視された阿含部にも菩薩という言葉は出てきます。が、菩薩という言葉は、釈迦一人の因位の時代を指し阿含経では、単に修行者というほどの意味で、大乗で言うほど特別な用語ではなかったのです。

さてその阿羅漢ですが、インド思想に詳しい岩本裕氏は以下のように言われています。

原語はアルハットarhatで、元来は「世の人々の尊敬を受けるに値する者」の意である。 漢訳仏典では、一般に「阿羅漢と音写される。」

小乗仏教においては「最高のさとりを得た者」を意味し、修行する者の最高の理想とされ、従ってアルハットは仏教の僧としての修行の理想の段階である。

また、如来(タターガタ)の十号 (十種の尊称)の一つで、その場合は仏に対する尊称である。

なお、漢訳仏典に於いては、阿羅漢に三義があるとして、 応供・上生・殺賊の三つを挙げるが、「応供は「供養を受けるに相応しい者の意で、arhatの原義を一応表しているとしても、「上生は「さとりの世界に入って再び迷いの世界に生を受けないという意味であり、「殺賊《に至っては arhanの語源をari-han(「敵を殺す者の意)とし、「煩悩という賊敵を殺した者と解した牽強付会の説であり、いずれも原語の意味に即したものではない。(阿羅漢について・岩本祐氏)

この方は梵語法華経を羅什版よりも正確に再度訳された方ですので、説得力があります。ということで、現代仏教の前では日蓮さんの解釈は通用しないオワコン教義です。すごろくで言えば振り出しに戻るということですね。