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正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

不相伝の証拠

いま日蓮正宗では法主が開祖の日蓮さんと同格だということになっているようです。ところがちょっと前の66世の言い分と違うんですよね。

「我が宗の三宝は、御本尊が法宝、大聖人が仏宝、日興上人が僧宝と立てます。
それに対して日目上人は座主である。今云った通り、管領して、その大聖人の仏法を治めていく、よく受取って治めて行く、即ち管領と云う意味を持って行くのである。統べ治める、そして統治をして行く。
その日目上人の後は、皆筒の流れのように、それを受継いで行くにすぎない。だから本宗の考えは、広宣流布の時は日目上人の再現、出現だと云う意味をとっております。すなわち日目上人が広宣流布の時の座主として再誕なされるとの指南であります。
だから代々の法主日蓮大聖人ではない。大聖人そのものと間違って書かれてよく問題が起きますが、その点ははっきりしてもらいたい。」(66世・細井日達:昭和52年5月26日・第19回寺族同心会の砌)

 

「宗門古来の“法”の立て方において、二筋の立場があるということであります。
つまり、もちろん根本は末法下種の御本仏・宗祖日蓮大聖人の御内証におわしますのであり、それを唯我与我の御境涯において二祖日興上人がその仏法の本義をお承け継ぎあそばされて、さらに日目上人、日道上人と、一器の水を一器に移すかたちで今日に伝えられておるということが、宗門の古来からの信条であります。
それはそのとうりでありますが、そこに御本尊の御内証という立場と、それから代々の法主がその法を承けて色々な場合において宗門を指導・統率していくという意味からの様々の指南・指導等を行う立場と、その二筋においては一往、分けて考えなければならないと思っております。
(67世・阿部日顕:昭和58年3月31日・第四回非教師指導会の砌)

一人は 「代々の法主日蓮大聖人ではない」といいますが、跡を継いだ人は「御本尊の御内証という立場」「それから代々の法主がその法を承けて色々な場合において宗門を指導・統率していくという意味からの様々の指南・指導等を行う立場」と二筋と言ってます。

法華講では御内証があるから法主末法の仏と同格ということになって、その立場から指南されるから現代の日蓮という理屈だそうです。

かたやそうではない、といい跡継ぎは現代の日蓮というのですから、こりゃ乱れますよね。この辺りがこの門流の分裂の多いところの源泉でしょう。