読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

役に立たないはずなのに。

日蓮さんの遺文は、短編で見るとなかなか説得調ですので、洗脳されてしまいますが、あちらの文章とこちらの文章と突き合わせると、途端にボロが出ます。

「我が滅後の一切衆生は皆我子也。いづれも平等に不便にをもうなり。しかれども医師の習ひ、病に随て薬をさづくる事なれば、・・・末法に入なば迦葉、阿難等、文殊弥勒菩薩等、薬王、観音等のゆづられしところの小乗経、大乗経、並に法華経は文字はありとも衆生の病の薬とはなるべからず。(高橋入道殿御返事・建治元年)

この遺文は元号が健治ですので、身延山にいた頃です。ここでは 「大乗経、並に法華経は文字はありとも衆生の病の薬とはなるべからず。」とキッパリ言ってます。次は弘安元年の文です。

「正法・像法には此の法門をひろ(弘)めず余経を失わじがためなり、今末法に入りぬれば余経も法華経もせん(詮)なし、但南無妙法蓮華経なるべし(中略)良薬に又薬を加えぬる事なし。」(上野殿御返事・弘安元年)

ここでも法華経は詮無しと断定しています、これを根拠に日蓮正宗では文上の法華経末法では役に立たないとして、文底の題目至上主義なんです。ところがですね、役に立たないはずの法華経を使って、こうしなさいと言うのがあります。

法華経の七の巻薬王品の文にて候。然るに聖人の御乳母の、ひとゝせ(一年)御所労御大事にならせ給ひ候て、やがて死なせ給ひて候ひし時、此の経文をあそばし候て、浄水をもってまいらせさせ給ひて候ひしかば、時をかへずいきかへらせ給ひて候経文なり。(中略)明日寅卯辰(とらうたつ)の刻にしやうじがは(精進河)の水とりよせさせ給ひ候て、このきやうもん(経文)をはい(灰)にやきて、水一合に入れまいらせ候てまいらせさせ給ふべく候 (伯耆公御房消息・弘安五年)

 これは薬王品の「病之良薬 若人有病 得聞是経 病即消滅 不老不死」の経文を焼いて、その灰を飲ませろと指示してるんです。先には弥勒菩薩等、薬王、観音等のゆづられし」法華経は役に立たないといい、今度はその薬王菩薩に譲られた法華経の経文を信じろと・・・まったくいい加減でしょ(大笑い)。