正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

三位一体の外道義

昨日の日蓮正宗戒壇本尊・血脈相承・代々の法主は三つが一つの不可分、不可侵のものという発想は、室町期の日有の代の頃に稚児貫首という10代の法主(日有・日鎮等)が出現した時に現れた法義のようです。

ところでこの三位一体とも言える貫首絶対論ですが、キリスト教の三位一体によく似ています。

キリスト教の根本教義の一つで、英語ではTrinity。〈一実体,三位格una substantia,tres personae〉で表される神観、すなわち父なる神、子なるキリスト、聖霊をもって、超越すると同時に内在し、人格を超えると同時に人格として歴史の中に顕現する神の存在様式を述べるもの。(三位一体)

面白いのは三位(神・子・聖霊)はすべて神の現れで、本来一体のものだというキリスト教の教義ですね。この神の表れという発想は、南無妙法蓮華経の本尊、つまり久遠元初の一法がすべての根源という正宗の教義とウリ二つ。

しかも三位一体という言葉、この教理を明記した個所も新約聖書の中には出てこない。日蓮正宗貫首と本尊と血脈等は日蓮の確実なる遺文からは伺うことができない。つまり後代の捏造という部分も似ています。

現在掲示板・ブログ等で見られる法華講員の「唯授一人の血脈の当処は、戒壇の大御本尊と不二の尊体にまします」(能化文書)という発想はまさしく三位一体がベースで正宗の自称本門戒壇本尊と血脈相承と歴代上人を「一体」とする教義は怪しい教説ですね。