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正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

正宗建物考:センスのない建造物

現代ではお寺や仏塔伽藍に求められる意味はどんどん変わっています。

伝統や安心感はもちろんですが、そこに行けばある癒やし効果とか包容力を感じたり、難解な教義がわからなくとも視覚効果で悟りが身近に感じられる。例えば近年はもっと身近に知ってもらおうと癒しの「寺カフェ」なんてのがあります。これも現代にどう語りかけるかとアプローチする仏教の現れですね。

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で、環境と仏教の一体感なんですが、サンプルとして天台宗の寺院で宝泉院で、額縁庭園(盤桓園)が有名。盤桓園には樹齢300年の沙羅双樹の木が茂り、「五葉の松」は樹齢700年だそうで京都市指定の天然記念物です。

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ここの庭園の名前は盤桓園(ばんかんえん)と言いますが、立ち去りがたいという意味があります。彼岸の世界を自然との調和で演出しているのでしょう。つまりこの寺の考えが言葉を使わなくとも訪れた人に印象深く訴えるわけです。

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こちらは有名な曹洞宗の寺院「源光庵(げんこうあん)」庭が有名で紅葉シーズンはこういう感じです。正宗などで観光は仏教ではないといいそうですが、その宗派の教えの具体的な救いや悟りは、文化的表現の一つが建物や庭に込められたものであるとすれば、視覚的に訴えられない、人々に観光すらならない総本山など何の意味があるんでしょうかね?

法華経は調和の経典と言われますが、大石寺の建物の景観との不調和な印象はまさに唯我独尊的で、自分たちと世間とを絶対調和させない折伏されて折れるのはそっちだという独善思想の現れなんでしょうかね。

とりあえず他宗には桃山文化の絢爛たる文化的建造物や室町期の枯山水とか見るべきものは多いですが、大石寺には全く無いですね。

大石寺信仰すれば現世利益が凄いとかを言う前に、文化的に見るべきものを作るほうが順序が先じゃないかなぁと、第三者として思うのですがわからんでしょうね