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正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

大石寺文化考:華がない宗派

ホンマに、大石寺って日蓮の弟子の中では随一だとか、偽書やら怪しい本尊作って、広宣流布という意味不明の日本国中題目だらけ状態を念願とする宗派ですが、こういうハードばっかでソフト開発はからっきしダメポな集団です。

外道と罵るキリスト教圏でも文化や芸術面は人類に貢献するだけのものは多くあるのに、大石寺にはそんなのなにもないんです。

700年以上も信者も坊さんも細々いたのに、なんら見るべきものがないちゅうのは、はっきし言って文化面ダメダメ。何よりも他門流・邪宗に比較して「全く華がない」門流です。

 

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この画像を見てやってください、「不受不施義」を初めて唱えた、室町時代日蓮宗の僧・久遠成院日親という人の弟子となった京都の町衆の本阿弥光悦の作品。日親(通称・鍋かむり日親)元は富木常忍の開いた中山法華経寺の僧侶でしたが、京都で日蓮ばりの布教をやって、中山門流を破門となります。

それでもめげずに京都で本法寺を開いて、更に激しく6代将軍足利義教を諫暁したために入獄し、その時に本阿弥光悦と知り合います。

本阿弥家は、光悦の祖父である本阿弥清信が足利義政によって獄につながれ、その獄中で日親と出会ったのを機に熱心な法華信者になったんですよ。代々、刀剣の研ぎ・ ぬぐ い・鑑定を専門としていた本阿弥家は、京都の町衆のトップクラスの家柄で、日親が本法寺を創建した時、資金面で協力をしたともいわれているんです。こうして法華信仰で結びついた京の有力町衆は、やがて華やかな都の近世文化を創り出します。(中略)
本阿弥家は抵抗運動をします。京都の町衆たちは自分たちの自治権を取り戻したいという夢を持っていた。それは宗教的にいうならば「法華の世界を再現したい」ということです。だから、光悦は鷹ケ峰に本阿弥一族や町衆、職人などの法華宗徒仲間を率いて移住、「光悦村」という理想郷をつくったのです。(中尾尭氏)

画像は左の作品は「国宝 舟橋蒔絵硯箱 」で右の茶碗は重要文化財 赤樂茶碗」です。ともに江戸期に家康から招かれて芸術村を起こした頃の作品ですが、日蓮宗の唱える法華文化を展開していったようですね。

大石寺から見ればいわゆる邪宗と呼ぶ門流ですが、そう呼ぶだけで自分たちの宗派から誰かこういう人を輩出したことが有るかといえば、まったくない。

大石寺の坊さんや信者は700年以上の歴史がありながら、社会になんら影響力や見るべきものがないということは、人間の情操を発動させるソフトが何も無いっちゅうこと。

それはやっぱり、アレも謗法、コレも謗法という、大石寺得意の謗法固めっちゅう必殺技で、信者の精神面が根こそぎ刈り取られたのが大石寺信仰ってことです。

建物一つ見ても癒やしとか安心とかまったく感じないのは、坊さんも含めてそういうセンスも情緒もないってことです、珍しいですよこんな宗派。