正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

大石寺文化考:賢治はいない

宮沢賢治(みやざわ けんじ)正字: 宮澤賢治、1896年8月27日 - 1933年9月21日)は、日本の詩人、童話作家
仏教法華経)信仰と農民生活に根ざした創作を行い、創作作品中に登場する架空の理想郷に、岩手をモチーフとしてイーハトーブ(Ihatov、イーハトヴあるいはイーハトーヴォ(Ihatovo)等とも)と名づけたことで知られる

宮沢賢治氏は実家が念仏宗浄土真宗)でしたが、小さい頃から仏教に目覚め長じては法華経に関心を持ち、上京して国柱会の会員となり文化活動の一員として童話を書き続けたことは誰もが知っている有名なことです。

大石寺では宮沢賢治が自らの手帳に題目と四菩薩が書かれていたので謗法としているそうですが、この方くらい没後も影響を与え続けた人はいませんぜ。

謗法と言うなら、正法である大石寺にこのくらいの業績のある人が一人でもいなければいけないはずですが、調べた限り大石寺信仰を持ったと言われるのが近代では北原白秋氏がそうらしいが、こういう指摘もありますので、どうも怪しい感じです。

『白秋全集』(岩波書店)に田中智学の名を見つけることができる。

 39巻、書簡集の323頁、大正13(1924)年1月14日付、東京下谷、鴬谷、国柱会館、田中巴雷(田中智學の号)先生宛。相州小田原天神山、北原白秋、39歳。

両親とともに三保の最勝閣に招待され、
「朝夕尊顔を仰ぎ」「荘厳なる御式を拝し候上両親の歓喜を子としてのくわんぎといたし得候こと何とも忝く奉存候 なほなほ御慈愛に甘え幾日となく大勢にて御取こみ中」云云。

 これを見ると国柱会とも関係していたようですね。