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正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

大石寺文化考:十返舎もいない

大衆文学という意味では、十返舎一九さんは寛政7年(1795)に3作の黄表紙(今で言う俗本)を刊行したのを手始めに、以後多くの黄表紙、洒落本などを刊行。

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修行時代に狂言謡曲浄瑠璃、歌舞伎、落語、川柳などに詳しく、狂歌を寛永期に修業し、それらを作品の素材にした。

その成果は日本文学史上、原稿料だけで生計をたてた最初の人物となったそうで、享和2年(1802)に初編を出した今でも知られる「東海道中膝栗毛」では、弥次さん喜多さんというキャラを動かして日本橋から東海道を旅し、伊勢神宮の後、京都へたどりつくという旅行記形式の物語。

続編に続編を重ね文名は年ごとにあがり、山東京伝曲亭馬琴に続き、式亭三馬と並ぶ戯作者としての世評を確立するにいたった江戸時代の大ベストセラー作家。

この方も日蓮宗の信者さんで天保2年(1831年)8月7日、67歳で没した際は浅草永住町の東陽院に葬られた。

日蓮宗寺院の東陽院は、真圓山と号します。東陽院は、浄源院日隆が慶安元年(1648)に善立寺塔中として創建されたお寺で関東大震災に被災し、現在地に移転し、十返舎一九の墓も移されたそうです。

大石寺信仰では「膝栗毛」の伊勢参りと言うだけでダメダメとなりますので、この方が大石寺信仰なら江戸時代から、舞台や映画にまでなった弥次さん喜多さんは生まれなかったでしょうね。しかも十返舎一九の辞世の句は

「此世をば どりやお暇に 線香の 煙と共に はい左様なら」

という風刺のきいたもので、これなども「この世で、さようなら」ではない、寂光土に行ってまた戻ってくるのだ、とダメ出しされていたでしょう(笑)。