正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

大石寺文化考:等伯もいない

長谷川 等伯(はせがわ とうはく、天文8年(1539年) - 慶長15年2月24日(1610年3月19日))は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての絵師。幼名は又四郎、のち帯刀。初期は信春と号した。狩野永徳、海北友松、雲谷等顔らと並び桃山時代を代表する画人である。

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国宝の「松林図屏風」(智積院蔵)は有名ですが、お墓の有る本法寺の『佛涅槃図』(重文)も有名です。この作品は京都三大涅槃図のひとつに数えられ、描表具を含めると縦10m・横6mにも及ぶ大幅で、表具の裏には日蓮以下、本法寺歴代住職、祖父母・養父母・子息久蔵などの供養銘が記されています。

それまでの中国からの影響が濃かった水墨画の世界ですが、等伯がこの絵で「美術史上日本の水墨画を自立させた」と大評価されています。

光や乾燥で表面劣化が懸念されるために海外など搬出が困難なために、過去に一度スイスで展覧会の有った際には搬送には億単位の保険がかけられたそうです。

この長谷川等伯もそして一門も、もちろん日蓮宗の信者であったことは有名ですが、20代の頃から能登半島の七尾という所で日蓮宗関係の仏画肖像画を描いていたそうです。

活躍の場所を京都に移そうと家族ともども上洛した際に京都の日蓮宗の寺院・本法寺を頼り、住職も快く応援して本法寺の塔頭のひとつを提供され、そこに住み込んで等伯は制作活動を開始したそうです。

ま、こういう話は大石寺の自分所の教義絶対で信者の芸術など理解しない乾燥した文化価値基準には関係ない話ですけどね。