正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

大石寺文化考:白隠もいない

法華経日蓮系の独占物のような印象がありますが、実はそんなことありませんで、文上だの文底だの、こじつけ言うのは特に大石寺系ですが、各宗派の有名な僧侶も法華経については達観を残されています。

 

曹洞宗の開祖・道元法華経を読んでますし、その系譜に有る有名な白隠禅師(はくいんぜんじ・貞享2年〜明和5年)は、臨済宗中興の祖と言われる江戸時代中期の有名な禅僧です。 

f:id:gachinbow:20161007061326j:plain白隠禅師は、法華経について妙法蓮華経の経文は“妙法”を説くもので、妙法は“心”の一字に帰する。

心外無法、三界唯心、万物と一体である自己の真性、自心の妙法、この法華の真面目を明らかにするために、法華宗日蓮宗)ではお題目を一心に唱えることを勧め、禅宗では座禅して公案を考えることを修行とする」(遠羅天釜 下巻【法華宗ノ老尼ニ贈リシ書】)法華宗の尼さんへの手紙に残してます。

大石寺系からは異論有るでしょうが、当時の法華経の肝要をズバリ言い切っておられると思います、これだけではなんですから白隠禅師のエピについて別の著作からこういうのを引用します。

 

白隠が四十二歳の秋です。彼の傍らで一人の坊さまが「法華経」第二巻・第三章(品)の「譬喩品(ひゆぼん)」を誦(よ)んでいました。そのとき、たまたま石だたみの上で、一匹のコオロギの鳴く声が聞こえてきたのです。この声を聞いて、心中に深く閃くものがあったのです。「法華経」がほんとうにわかったのです。読めたのです。白隠だけが自覚した人生の真実です。どのように「法華経」がわかったのか、どのような内容であるかは、それからの白隠の言動に展開されています。しかし、その時点での白隠の心境は他からは窺(うかがい)知れぬ絶対なものです。
 (中略)
 とにかく、コオロギが無心に鳴く声を、ほとけの教えと聞けるところの、ほとけのこころが自分の心中に埋ずみこめられあるのに気づき、今までの疑いが解けました。白隠は思わずうれし泣きに声をあげて泣きます。
 (中略)
 誰もが、いつ・どこでも、いのちを抱くとともに抱かれている事実に、あるいは気づかせ、思い出させようとの、大きないのちの誓いと願いとが的確に受けとられたのです。」(松原泰道氏・観音経入門)

 

でもこういうこと書くと大石寺系では、不相伝の輩が〜、とか内容開示もできないのに、いつもの印籠教学を持ち出すので、まぁ一言だけ。

 

そんなに大石寺教学が素晴らしければ、世の中に訴えるだけの法師なり学者なりを一人でも出してから言うべきでしょう、自宗内でヒッキー系の独白してても誰も評価しないということです。