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正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

大石寺文化考:隷属度は一流

近年の日蓮正宗の僧侶の不祥事、大石寺の僧侶の感覚も世の中とかなりズレていますが、その淵源はやはり執行部の独裁体質に有るようです。

「だから信者がね、わがまま言ってだね、なんだドイツ語みたいで難しくてわかんない。なに言ってやがんだ。なーっ! だって難しいの当たりめえなんだよ! ふざけんなって言いたい。易しく説きゃーいいなんてそんなもんじゃないんだ! ねーっ、仏法は。まー、あのねー、ミーちゃん、ハーちゃんにわかるようにペコペコよ、頭下げて説いてたら、本当の法なんか説けやしないんだ。だから、そんなものあれですね、あのー、民衆に必ずしも応同する必要はないんだ。」(平成4年5月28日、寺族同心会)

広宣流布がなされれば、ドイツでも 『歓喜の歌』は歌えなくなるんだ」 (平成三年一月六日 住職・寺族を前に)

「民衆、民衆って言う奴ほどバカなんだ」(平成6年8月24日、全国教師講習会)

「黒人女には手を出さない方がいい。あれはあんまりよくないんだ。日本人には具合が悪い。病気をうつされてどうしようもなくなるぞ」 (昭和58年4月、ロサンゼルスに赴任する住職目通りの際)

 大石寺では師弟相対と言うことが信者にも教化されて本山では貫首絶対、末寺では住職絶対という信仰姿勢が求められます。これは祈願にせよ、先祖回向にせよ葬儀にせよ、その中心となるのは僧侶で信者はその人を信じて修行に励むから本願が叶うという、教えです。

日蓮正宗における「師弟相対の信心」は、大聖人を末法下種の教主・主師親三徳兼備(けんび)の御本仏と仰ぎ奉り、大聖人の甚深の仏法を唯授一人の血脈相承をもってお受けあそばされた日興上人以来の御歴代上人を本師と仰いで仏道修行に励むことによって、末法の私達衆生三宝一体の御本尊と境智冥合(きょうちみょうごう)し、成仏得道が叶うのであります。

で、これはいいのですが、先の僧侶のように何か社会的事件を起こしたときは、どの時点で師匠にならなくなるのかが明確でなく、信者に求めるくらいの徹底服従は、今度は僧侶の上下間でも同様で、貫首と属する僧侶も徹底服従となり、まるで明治以降・終戦までの日本軍隊のような「上官の言葉は陛下の言葉」という硬直したマインドコントロール状態を求められます。

信者も僧侶も貫首に絶対服従だけは超一流。文化不毛の宗派はこのあたりが病巣であろうと思えますね。