正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

大石寺文化考:坊さん力も下の下

釈迦の仏法は、「仏法東漸」といって、インドから中国、中国から日本へと伝わってきました。それが末法に入って広宣流布するために、日蓮の仏法が東の日本から西の印度へ、そして世界各地に流布していく事を「仏法西漸」というそうです。 これは日蓮の遺文にそう示されているからです。

★天竺国をば月氏国と申す、仏の出現し給ふべき名なり。扶桑国をば日本国と申す、あに聖人出で給はざらむ。月は西より東に向へり、月氏の仏法、東へ流るべき相なり。日は東より出づ、日本の仏法、月氏へかへるべき瑞相なり。(諫暁八幡抄)

★月は西より出でて東を照らし、日は東より出でて西を照らす。仏法も又以て是くの如し。正像には西より東に向かひ末法には東より西に往く。(顕仏未来記)

この「仏法西漸」の内容の信憑性は置いといて、実際にこの理想実現に大石寺ではほぼ800年間に何か努力したのかといいますと、そういう跡は見られません。ただ信者の布教に頼むばかりです。ところがこの理想を他門流ですが頑張っている教団があります。

日本山妙法寺は、日蓮系の一つ。その藤井日達上人が、1917年、皇居で立正安国の祈念を修したことから始まる。所依の経典「法華経」。1953年宗教法人となった。一般人にとっては、黄色いインド風の僧衣を着て、団扇太鼓を叩きながら南無妙法蓮華経と唱えて行進している僧侶という印象だろう。

大正7年(1918)10月、中国の遼陽に最初の日本山妙法寺を建立する。その後中国各地をはじめ、国内外に日本山妙法寺が次々と建立された。昭和5年(1930)、母親の死をきっかけにして、仏法は必ずインドに帰ると信じインドに渡る。昭和8年(1933)、インド独立の父マハトマ・ガンジー(1869~1948)と出会い、マハトマの非暴力主義が仏教の教えに通じることを知り、マハトマもまた日達上人や仏教の絶対的非暴力主義思想に感銘を受けた。日達上人は、ガンジーを教化・教導したのである。日本山妙法寺藤井日達の生涯)

 

★日本山の思想理念をご紹介するに当たって、いろいろの角度から申し上げることがございます。どれをとるべきかと思いましたが、一番問題なのは、マハトマ・ガンジーにお題目を伝えたということです。これは案外知られていないのです。非暴力主義を旗印にして、インドの独立を指導したマハトマ・ガンジーの名前を知らない人はほとんどいないくらいですが、マハトマ・ガンジーが「南無妙法蓮華経」と毎日、朝晩唱えていたという事実を知らないのです。

これはガンジーという人の不思議な一つでして、ガンジーが毎日唱題行を続けられていたことはまぎれもない事実なのです。このことをなぜ日本でも取り上げないのかということが、私はどうも不思議なのです。(中略)一九三三年十月四日に、藤井上人、お師匠様がガンジーにお目にかかったとき以来、ガンジーはお師匠様の唱えていたお題目をとりあげて、ご自分の祈りの中に入れられたのです。

しかもアシュラム、塾のことですが、アシュラムの祈りの中の、十分か十五分ぐらいの祈りが続くのですけれども、その中の冒頭に、まず「南無妙法蓮華経」の三唱から始まるのです。これは今でも決まっております。ガンジーのアシュラムに行きますとお祈りの本を売っております。その本の中に、英語でもインド語でもそうですが、最初に「南無妙法蓮華経」が三回書いてあります。これを三唱して、それからインドの祈りに入るのです。(今井行順・日本山妙法寺長老

 

★昭和29年(1954)には、当時のネルー首相より贈られた仏舎利を納めるため、熊本駅裏の花岡山山頂にパゴダ(Pagoda、南アジアの仏塔)風の仏舎利塔を建立した。その後、中国、インド、アメリカ、ヨーロッパと、世界各地にたくさんの仏舎利塔を建立し、世界平和を祈願した。以来平成15年までにインド(6)、スリランカ(4)、ネパール(2)、ヨーロッパ(4)、アメリカ(2)を含め、73の仏舎利塔がある(日本山妙法寺藤井日達の生涯)。

日本山妙法寺日蓮系では大正期に発足ですから新興宗教教団のジャンルに入ると思いますが、実践力も布教力も大石寺僧侶は後塵を拝するばかりですね。あの「相伝が〜」という声が聞こえそうですが、明治以降も何ら布教に実績のない教団の単なる負け惜しみですね。