正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

大石寺文化考:ブランドに弱い

幕末ともなると大石寺に帰依したと天璋院篤姫とか、島津斉彬公の名前とか出ていますが、これもまた怪しい信仰だったようで、篤姫については過去記事で少し触れています。

さらに篤姫さんは曹洞宗永平寺の第六十世である童竜臥雲禅師が、明治四年の11月に亡くなった際に、明治4年(1871)12月26日に天璋院(13代徳川家定候御内室)より臥雲禅師(曹洞宗永平寺)の御牌前(御霊前)へ「菓子料金三百疋、香料金百疋」を賜う。とありますので先の立山信仰といい、この永平寺禅師との交流といい、大石寺一本ではなかったことが裏付けられます。

 さらに篤姫については永平寺と並ぶ曹洞宗大本山で神奈川県の鶴見に有る總持寺の待鳳館とも関係があります。

「待鳳館」は總持寺の迎賓館になっている。さっきの写真説明では、修行僧が入山のお許しを乞う処。東京・千駄ヶ谷尾張徳川家旧書院を移築した建物で、鬼瓦に三つ葉葵の紋が付いている。寺院独特の反り屋根ではなく、数寄屋造りに多く見られる緩やかに丸みを帯びた起り(むくり)屋根と唐破風造の玄関付が、荘重で風格のある中に、たおやかな趣を添えているようだった。正面玄関からの写真を撮り損ねてしまったのが悔やまれる。部屋の内部には天璋院篤姫の御印である双葉葵の模様があることから、明治維新以後に移り住んだ篤姫の部屋だったのでは、といわれているとのこと。(鶴見へ~總持寺拝観~

この迎賓館で篤姫が亡くなったのですが、大石寺はそれもひた隠しです。利用するところだけは利用して、マズイところは巧みに隠す文化体質ですね。