正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

大石寺文化考:牧口常三郎氏の場合

創価教育学会を創始した人で教育者でもありましたが、この方も入信時は神道系の禊会という会員でもありました。

創価大学教授の宮田幸一氏の『牧口常三郎の宗教運動』(第三文明社、1993)を読んでいて、その事実を発見した。宮田氏はその74頁に「牧口は日蓮正宗入信の七年後の1935(昭和10年の`創価教育学体系梗概』において、自分の宗教遍歴を回顧して次のように述ベている」として、『牧口常三郎全集第5巻』の405頁目を引用している。
〈もとは禅宗の家に生れ、法華の家に養はれたものであったが、何等信仰の念はなかった。壮年上京以後儒教の道徳だけで不安に堪へずして、再び禅に参じ、基督教に聴き、深呼吸法も習ひ、其他の教説にも近づき多少の入信はしたが、遂に深入りすることには至らなかった。が古神道に基づく。禊会には十数年間、夏冬の何れかに大概参加し、お蔭で今もなほ毎朝の冷水浴は欠かさないほどに至ってゐる。が心から信仰にはいることは出来なかった。〉
これは、じつに驚愕すべき事実である。10数年間も夏冬いずれかの会に参加し、日蓮正宗に入信したあとも、その習慣から抜けきれないのである。

牧口は「心から信仰に入ることは出来なかった」と述べているが、その行間からは10数年間の、おそらく会員だったのであろう当時の懐かしい想い出が溢れ出ている。
牧口が10数年間も通ったという禊会というのは、川面凡児(1862~1929)が再興した禊流の古神道のことである。正しくは明治39年4月、東京・谷中で旗揚げされた「大日本世界教稜威 (みいつ)会本部」の講習会が、牧口がいうところの「禊会」である。
設立者の川面は宇佐の生まれで、15歳のとき宇佐神宮神奈備(かむなびの)馬城峰(まきのみね・650メートル)で自称697歳の仙人かち仙導の指導をうけている。しかし20代から30代にかけては禅宗と浄土宗の寺院で仏教を学び、40代の半ばで神道家へ転じたものの、ひょっとすると浄土宗においては、日蓮宗における田中智学や、浄土真宗における清沢満之のような存在になっていたかもしれない人物だった。
その川面が祖神垂示によって復興したのが禊流である。明治以前の神仏習合で長い間、水垢離程度にしか伝承されていなかった禊を記紀神話におけるイザナギが筑紫の日向の橘の小門こと阿波岐原あはきばらをにおいて身禊みそぎをした故事に基づき、祖神から霊示という形で古神道の行法を復活させたのである。いうならば、海・川ヘ入って禊をするわけだが、日常的には風呂場や庭で、鳥船運動なども交えながら冷水浴することになる。(週刊仏教タイムス』'05.4.28)

10数年も通えば立派に信仰かと思うのですが、この頃の牧口氏の状況についてブログに記している方があります。この冷水行を本山へ参拝してたときにも行っていたとありますので、坊さん方も黙認だったんでしょうかね?