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正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

大石寺文化考:高位の御方の場合

真偽が有るんでしょうが、正宗信徒のブログに広告塔として皇室の御方を例として、だから正しい団体と自慢しているのがありますが、以下がそうですね。

このほか、日蓮正宗に帰依していた著名な歴史上の人物として、以下の人物を挙げることができます。
 
貞明皇后(1884~1951)大正天皇の皇后で昭和天皇の母。(某ブログ

 ここには過去記事で触れてきた明治以前の二股信仰の人物名があり、それらが純粋一途に信仰を全うしたと書いているのですが、これもまた大石寺信仰の表情報アナウンスで目くらましされている信者の哀れな姿です。この御方の信仰機縁については、このようです。

人皇第百二十三代大正天皇の后、貞明皇太后が昭和16年8月に日蓮正宗総本山大石寺第六十二世信譲院日恭法主から、妙法曼荼羅(鎮護御本尊)の授与を受けていたのは歴史的事実である。

貞明皇太后は、戦時下でお悩み深くあらせられ、北条貴族院議員の薦めにより国家国民と皇室の存続祈願の為に立正大師日蓮聖人の曼荼羅の写しを受けられ御帰依遊ばされたのである。
この貞明皇太后大石寺の仲を取り持った北条貴族院議員は創価学会4代会長を務めた北条浩の叔父にあたる人物だ。

とあり、北条家(鎌倉北条ではなく、小田原北条の末裔) のお勧めがあったようです。で、この太文字部分が信仰の機縁らしいですが、いつもの裏ネタで先の大戦の折にこういう動きがあったようです。

日本が降伏する直前の1945(昭和20)年7月30日から8月2日にかけて、宇佐神宮大分県)と香椎宮(福岡県)、氷川神社(埼玉県)に勅使を送ったことです。宇佐と香椎へ使いを送る「勅使参向」は10年に1回の恒例行事。氷川神社は例祭。そこで「敵国撃破」を祈らせた御祭文が実録に記されている。

氷川神社の例祭は8月1日なので、これに合わせて勅使を送ったという見方もできるでしょう。しかし、宇佐神宮香椎宮は本来10月に勅使を送るべきところ、7月30日と8月2日に送っている。ここには意図的なものが感じられます。

香椎宮主祭神神功皇后で、宇佐神宮応神天皇神功皇后は、応神天皇を身ごもりながら三韓征伐に行ったという逸話が「日本書紀」などに書かれている伝説の皇后です。

10日あまり後に日本は降伏する。天皇は戦争終結の気持ちをほぼ固めていたであろうこの時期に、なぜ強い調子で敵国撃破を祈らせたか。しかも、なぜ伊勢神宮ではなく、香椎宮宇佐神宮だったのか。

これは天皇本人の意思というよりも、母・貞明皇后の意向を反映していたのではないか、というのが私の説です。(昭和天皇、キリスト教に関心の理由

ここでみると正宗信者が得意満面で高位の御方も大石寺信仰だったと言うのですが、詳しくはリンク先をご覧になっていただければおわかりかと思います。

しかし、昭和16年に入信されて昭和20年には別の神社に戦勝祈願祈祷依頼、これまた皇室有縁の神道に祈祷をお願いされていたということで、ここでもまた二股というか、大石寺信仰に関係したものの、先の大戦の正宗信仰の祈念に効果がなく、どんどん負けを広げるばかりで信頼を置いてなかったと言うべきでしょう。