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正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

大石寺文化考:ご利益信仰

 日蓮正宗では板本尊を信仰することで御利益として叶わない願いは無いと、ひとまず勧誘します。これがキャッチセールスと同じで掴みですね。

やすやすと信じたらその後エライ目にあいます、毎日勤行して唱題は欠かさず、登山だ、折伏だ、寺の行事だ、これをこなさなければ功徳はないと洗脳されていくわけです。で、肝心の御利益保証はどうなるかといいますと。

日蓮正宗の信心を全うする上で、当然ながら毎日が功徳ばかりではありません。大聖人様が、四ヵ度の大難をしのがれて、
「其の外の大難、風の前の塵(ちり)なるべし。」(御書571頁)
と仰せられているように、大難をしのぎつつ、この信心を全うすることが大切です。
しかし、私達凡夫は諸難よりも、毎日を功徳に溢(あふ)れて過ごしたいと願うのです。そして、功徳が実感できないと不審がり、何かよくない事が起きるとすぐに疑ってしまいがちです。

たしかに病魔や、様々な悩みや苦しみも、あるよりはない方が良いに決まっています。

しかし、信心によって簡単に功徳に満ち溢れた生活を毎日送れるかというと、そんなことはあり得ません。
なぜなら、どんな人でも生老病死をはじめ、欲しいモノが手に入らない、愛する人と別れる、嫌な人と会う、煩悩に振り回されるという四苦八苦からは逃れられないからです。
また、過去世から積んでしまった罪障もあります。
私たちが信心をする上で、功徳は大切です。我々は功徳を願い、功徳が欲しいから信心をするのです。
しかし、信心を鍛え、人として成長して行くには、諸難も必要なのです。従って、仏様の慈悲の上から、私達はそうした試練の時には、それを受けて立つ強さと気概が必要なのです。(慈本寺ホームページ住職法話から引用)

この赤文字を見てください、御利益で釣っておいて信仰すればこういう現実になっていき、難を乗り越える信仰とか目先を変えられてまるで猫騙しです。

そして人を集めて年末には恒例の金集めというイベントが待っています。坊さんが主体的にこれだけということを信者の代表に誓願として言わせている所が、この宗派らしいですね。