正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

大石寺文化考:広宣流布ビジョン・3

さて日蓮さんの提唱する法華が広まるとこういう世の中のサンプルとして提示された「義農の世」なんですがね。

「天下万民諸乗一仏乗となって妙法独り繁昌せんとき、万民一同に南無妙法蓮華経と唱え奉らば、吹く風枝を鳴らさず、雨土塊をくだかず、代は義農の世となりて、今生には不詳の災難を払い長生の術を得、人法ともに不老不死の理(ことわり)顕れんときを各々御覧ぜよ。現世安穏の証文疑いあるべからざるものなり」(如説修行抄・真蹟なし)

道教によれば「玄の又玄、衆妙の門なり」(老子)という究極の真理が現出した世界は、自然は穏やかにして災難は取り除かれ、不老長生の心身の術をもって現世の安穏を保持した伏義と神農の治世であるとされる。

それは暗黒(玄)を光明に転じさせた「玄妙」の世界の真理が敷衍するものである。

この「玄之又玄」というキーワードは釋摩訶衍論という龍樹菩薩に仮託した論書に「玄玄又玄。遠遠又遠。如是勝處爲明」(唱うを得れども實に自に非ず。 玄玄にして又玄なり。 遠遠にして又遠なり。如是の勝處は為れ明か無明か)(第五巻・中国で創作)と出てきていますが、これは道教の理屈で仏教を説いてた格義仏教時代の流れです。

「三玄とは一には有の玄・周公等此れを立つ、二には無の玄・老子等・三には亦有亦無等・荘子が玄これなり、玄とは黒なり父母・未生・已前をたづぬれば或は元気よりして生じ、或は貴賤・苦楽・是非・得失等は皆自然等云云。」(開目抄)

日蓮さんは日本仏教の各宗派を謗法だと決めつけて、法華経によらない教えは捨てよとしてましたが、中国の史書に引用されたものや道教の教えは無批判に受け入れて仏教と外教であるはずの儒教道教をチャンポンにして真理として喜んでいたようです。

この「義農の世」提唱もその現れの一つです。中国ではその時の皇帝が過去の歴史を全否定してもまかり通るような体質がありますが、安定した平和な時代は長く続かず、必ず別の国王が伸し上がる下克上の極みのような国なんですが、そういう歴史的事実は全く知らなかった日蓮さんです(続く)