正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

大石寺文化考:念珠の勘違い

釈迦在世では瞑想が中心修行でマントラを数える数珠など使用していないのに、後に中国や周辺地域で偽経を作ってまで念珠のことをあーだの、いうってかなり痛い話ですが、以下の遺文と説明は笑い話ですね。

「態(わざ)と妄語(もうご)をさせて世の中を損じさし、人をも悪道に堕さん料(りょう)に、天狗外道平形の念珠を作り出だして、一遍の念仏に十の珠数(たま)を超(くり)たり。乃至一万遍をば十万遍と申す。是れ念珠の薄く平き故也。是も只(ただ)申すにあらず。

念珠を超(くる)に平念珠を禁(いまし)めたる事諸経に多く候。繁(しげ)き故に但一二の経を挙(あ)ぐ。数珠経に云わく、応(まさ)に母珠を越ゆべからず諸罪に越ゆ数珠は仏の如くせよ。勢至菩薩経に云わく、平形の念珠を以る者は此れは是れ外道の弟子なり我が弟子に非ず。

我が遺弟(ゆいてい)は必ず円形の念珠を用ゆ可し。次第を超越する者は因果妄語之罪に依って当に地獄に堕すべし云云。此等の文意を能々(よくよく)信ずべし。平たき念珠を持て虚事(そらごと)をすれば、三千大千世界に人の食(じき)を奪ふ罪也。

其故は世間の人の虚事をする故に、春夏秋冬たがひて世間の飢渇(けかち)是より起り、人の病これより起る。是れ偏(ひと)へに妄語より始まれるなり。」(戒法門)

(説明)邪宗の「平形の念珠」は珠が百八つもなく少ないため、煩悩が心の中に残り成仏できません。そのために釈尊は「平形の念珠」では地獄に堕ちると説かれ、「平形の念珠」を使用しないように説いているのであります。

数珠の由来を説いた経典は日蓮さんが引用した数珠経とか木槵子経( もくげんしきょう:東晋時代 317-420:失訳) が上がってますけど、実は印度でバラモン教(今はヒンドゥー教)が使用してた流れで、後にマントラを数えるために大乗仏教が取り入れたことがわかっています。

ということで、日蓮さんは平形だの108玉だの間違いだ、こちらが正統だとしていますが、カースト最上位の祭司階層(バラモン)の法具を仏教の法具の正統だと思ってたんですねw。

しかし、なんといっても正宗二十六世日寛さんの「衣・袈裟・数珠、是を三衣と名づく」(六巻抄 216頁)が、一番痛いですね。