正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

大石寺文化考:日蓮の時代では

大石寺の寺院では塔婆供養なる励行があって、せっせと一族や家族の追善回向を勧められます。この行事は施餓鬼会とか春秋のお彼岸とかの時期だけでなく毎月僧侶に願って立てるのが信者の勤めだそうです。

板に題目を書いて、信者が勝手に立てるのはダメダメだそうで、お墓参りなどまで板塔婆をお願いして信者がお経を読むのがグッドな在家の信行だそうですw。ところがですね。

中興入道御消息

然るに貴辺は故次郎入道殿の御子にてをはするなり。御前は又よめなり。いみじく心かしこかりし人の子とよめ(嫁)とにをはすればや、故入道殿のあとをつぎ、国主も御用ひなき法華経を御用ひあるのみならず、法華経の行者をやしな(養い)はせ給ひて、としどしに千里の道をおくりむかへ、去りぬる幼子のむすめ御前の十三年に、丈六のそとばをたてゝ、其の面に南無妙法蓮華経の七字を顕はしてをはしませば、北風吹けば南海のいろくづ、其の風にあたりて大海の苦をはなれ、東風きたれば西山の鳥鹿、其の風を身にふれて畜生道をまぬかれて都率の内院に生まれん。況んやかのそとば(卒塔婆)に随喜をなし、手をふれ眼に見まいらせ候人類をや。過去の父母も彼のそとば(卒塔婆)の功徳によりて、天の日月の如く浄土をてらし、孝養の人並びに妻子は現世には寿を百二十年持ちて、後生には父母とともに霊山浄土にまいり給はん事、水すめば月うつり、つゞみをうてばひゞきのあるがごとしとをぼしめし候へ等云云。此より後々の御そとばにも法華経の題目を顕はし給へ。

キモは赤文字の所で、この佐渡の中興(地域名)の住人・中興次郎入道のことですが、入道というくらいですから在家の身ながら出家した半分僧侶の人ですが、半分は在家です。どうもこの人は自分で卒塔婆を立てて題目まで書いて回向してたようですね。

日蓮さんからはこれからもそれを励行しなさい、とあるので当時は、僧侶が仲介せずとも入道(半僧半俗)の身でも塔婆が立てられるという画期的なサンプルですね。(続く)