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正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

大石寺文化考:語句変換【相承】

他門流に秀でて独自路線の金看板が大石寺では血脈相承と板本尊らしいです。ところが、上古にその証明となると恐ろしく貧弱で該当する文章はありません。

行者既に出現し久成の定慧・広宣流布せば本門の戒壇・其れ豈に立たざらんや。仏像を安置することは本尊の図の如し・戒壇の方面は地形に随ふべし。国主信伏し造立の時に至らば智臣大徳宜しく群議を成すべし。兼日の治定後難を招くあり、寸尺高下注記するに能へず。(貞和5年・正平4年(1349)5月、日順著「本門心底抄」日蓮宗宗学全書2巻P346)

重須談所の学頭となった三位日順という人がいますが、この人は広宣流布の暁には仏像を建てる、曼荼羅は仏像の設計図だ、などという文書が残されて、どうやら日興さんの環境にはいろいろな説が有ったことが忍ばれます。

で、大石寺としては今と齟齬する文書となるので危険人物指定になっています。ところが日興・日目の時代に血脈相承なる特定語句がないもんですから、上記の危険人物のコトバを使用して証明したりします。

『抑久遠の如来は首題を上行菩薩に付嘱し日蓮聖人の法門は日興上人に紹継し紹継の法体は日澄和尚類聚す』(三位日順・用心抄・日蓮宗宗学全書2巻P327)

 ところが赤文字は日興から日目ではなく、日澄という重須談所の初代学頭に任ぜられました人の名前になっています、この人は日順の兄にあたり早くに夭逝した人にだそうです。

ということで深く見ていくと色々まずいのですが、それでも上古の時代に相承を以って談所ですら師子相承したのだ、いわんや本寺はと拡大解釈するようです。