正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

大石寺文化考:語句変換【因果の理法】

何かいいことがあれば何も考えないんですが、やな事があれば人間の脳は何かと原因を探るようです。大石寺信仰圏では人のそういう瑣末なことを見ては、それを「仏罰」だと弾劾したり、信仰していれば「過去世の宿業」とかおバカなことをいいますが、そうやって一因一果のルールが自分達の目に見えない所で流れていると思いこんでるようです。

仏法においては、因果の理法ということが説かれております。つまり、どんな物事にも原因と結果が存在するということであります。世間にも「善因善果」「悪因悪果」というような言葉もありますように、良いことをすれば必ず良い結果が得られ、また悪いことをしてしまえば、それに見合った悪い結果を生んでしまうということであります。大聖人様も、『開目抄』という御書において、 

「過去の因を知らんと欲せば、其の現在の果を見よ。未来の果を知らんと欲せば、其の現在の因を見よ」(御書571㌻)と、『心地観経』というお経文を引かれて仰せのように、現在の自分の姿、また現在の自分に対して起こっていることは、全て過去の自分の行いによって生じた悪い結果であり、同時に現在の自分の姿や、振る舞いがそのまま自分の未来における結果に結びつているということであります。よく今を努力しない人、ほんの一瞬でも大事にしようとしない人は、未来永劫進歩しないと言われる理由は、ここにあります。(平成17年12月1日発行 高照山)

ま、添削を二箇所ほど致しますが、まず「善因善果」「悪因悪果」なんてコトバは因果の理法と言いながら因果になっていません言葉で、正式には「善因楽果」「悪因苦果」 ですね。

良き因が楽をもたらすので、また悪い因は苦しみをもたらします、悪をもたらしたり善をもたらしたりとか意味不明ですね。

次に『心地観経』から宗祖さんが得意満面に因果の理を引用していますが、この経典にはそんな言葉はありません。こういうズサンな部分が日蓮さんの宜しくない所で、晩年は苦果を招いた所ですねw

 

日蓮正宗では因果の理法があるんだとしますが、脳内に有るだけでよく調べもしないで一括変換で功徳・仏罰とされるようですw