正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

大石寺文化考:語句変換【ご供養の功徳】

大石寺では例年のように建物修復に擬して勧募がなされているようで、信者代表が進言する事を受ける形で、年末に御供養ウィークが始まるようです。

もちろん信者代表が坊さんにお願いする形なんてヤラセなんですが、坊さんが催促するわけには行かないので、先回って信者が願うというお芝居が延々続いています。

「三輪清浄」とは三輪空寂ともいい、布施においては、与える者、受け取る者、布施される物のいずれも(三輪)が清浄でなければならない、というもの。
与える者が見返りを期待したり、受け取る者が欲望にとらわれていたりするようなら、それは商取引であって布施ではない。布施は、人の欲の心や執着心を離れなければならないのである。

塔婆供養の申し込みや、建物修復に関する檀家の参加申し込みは、もともと教団から対価としてのサービスの提供、教団が行わねばならないものを信者側が御利益を期待して納めるお金ですので、厳密にいうと上記の意味での三輪清浄の布施には当たらない。(三輪清浄について)

釈迦在世の原始仏教では衣や食料が施物の主なものでしたので、修行者は無執着の心で、どんな布施でも差別せず、施者の幸せを願って受け取るということが修業であったと言われています。

現代で言えば、わずかの額を布施する信者に対しても、高額の布施をする信者に対しても、ひとしく平等の心で接せなければいけないはずですが、大檀越とかあきらかに待遇に不自然な事があったことは大石寺の大檀那の史実を見ればよくわかることです。

ということで、大石寺では年末の御供養シーズンを大功徳が積める=御利益期待と読み替えるようです。もちろん期待した利益がなかった場合は、信心が足りない、の一言です。