正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

大石寺文化考:語句変換【仏の振る舞い】

大石寺信仰に関係すると、強信になることを盛んに勧められます。強い信こそが成仏の要であると刷り込まれるようです。昨日より今日、今日より明日とますます信心が強くなる人を仏は賛嘆すると指導されます。

★「いよいよ強盛の御志あるべし、冰は水より出でたれども水よりもすさまじ、青き事は藍より出でたれども・かさぬれば藍よりも色まさる、同じ法華経にては・をはすれども志をかさぬれば・他人よりも色まさり利生もあるべきなり」(乙御前御消息)

★「日蓮其の身にあひあたりて大兵を・をこして二十余年なり日蓮一度もしりぞく心なし」(辦殿尼御前御書)

★「月月・日日につよ(強)り給へ。すこしもたゆむ心あらば魔たよりをうべし」(聖人御難事)

歩みを止めると魔がつけ込むそうです、そういう強迫観念を持たされて、励めば励むほど魔とデッドレースが一生続きます。しんどいですね。で、こういう遺文を書いた日蓮さんはどうなのかと調べますと、文永十一年から身延山という所に隠居します。

三月十六日に鎌倉へ入りぬ。 同四月八日に平左衛門尉に見参す。 本よりごせし事なれば丶 日本国のほろびん(滅びん)を助けんがために、 三度いさめん(諌めん)に御用ひなくば、山林にまじわるべきよし存せじゆへに、 同五月十一日に鎌倉をいでぬ。(光日房御書・建治二年三月)

これって退いたことだと思うのですが、しかも仏教の教えでなく儒教の故事を言い訳にしています。別の遺文では「力をよばず山林にまじはり候ひぬ」(上野殿御返事)とこれまた別の言い方をしています。その言い訳の文例です。

★「去年かまくらより此ところへにげ入り候(高橋入道御返事)

★「日蓮此の禁めを恐るる故に国中を責めて候程に一度ならず流罪・死罪に及びぬ、今は罪も消え過も脱れなんと思いて鎌倉を去りて此の山に入つて七年なり。」(秋元御書)

一番目と二番目では言い訳が変わっています。「逃げた」「罪が消えた」では意味は大違い。

こんな開きが有っても大石寺通釈では大日本帝国のように退却とは言わずに転進というコトバで誤魔化したように、儒教のならい、あるいは罪障消滅とか、末法の仏は万代の令法久住のために弟子育成と教団の基礎に注力されたと言い換えるようです。

開祖がこういう言い換えの名人で、こうですから、大石寺では坊さんが世間を折伏しない理由を法城を護るとか言い換えて信者のケツを叩くのが仏に習った振る舞いのようです。