正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

大石寺文化考:語句変換【六根清浄】

大石寺信仰の極みは他人のことは気になるが、自分のところの傷には全く気が付かなくなる御利益が頂戴できます。

「信仰をしていても悪い人がいるのではないか」

 信仰していない人は、よく「信仰をしていても、こんなに悪い人がいるから信仰する気にならない」と言います。 「悪い人」といっても、悪い考えに染まった人、悪い癖を持った人、自分で気付かずに悪業を犯す人などさまざまです。

 釈尊は、現代の世相を「五濁悪世」と予言しました。五濁とは
(1)劫濁(社会・環境に悪い現象が起きる)
(2)煩悩濁(瞋りや貪りなどの悪心にとらわれた本能の迷い)
(3)衆生濁(人間そのものの濁り)
(4)見濁(思想や考えの乱れ)
(5)命濁(みょうじょく)(生命自体の濁り、人命軽視など)
をいいます。

正しい宗教によって信仰を実践していくうちに、悪い性を断ち切り、煩悩を浄化し、六根清浄になっていくのです。

日蓮大聖人は信心の功徳について、
「功徳とは六根清浄(ろっこんしょうじょう)の果報なり。所詮今日蓮等の類(たぐい)南無妙法蓮華経と唱へ奉る者は六根清浄なり」(御義口伝・新編一七七五)

と仰せです、すなわち正しい教えである南無妙法蓮華経を信じ唱える者は、必ず六根〔眼(げん)・耳(に)・鼻(び)・舌(ぜつ)・身(しん)・意(い)〕のすべてが清浄な働きになると教えているのです。

これを書いているのは坊さんですが、坊さん自らが規範を示すことなく社会的事件を数々起こしていながら、姿勢を改めるどころか、教団も人によって懲罰に軽重が有ります。例えば阿部信彰という人は前法主の子息、同僚・僧侶に暴力事件起こしているのに十日間の謹慎で職務復帰。他の人なら坊さん引退や最悪は住職罷免、擯斥です。他にも強姦未遂事件や酒気帯び運転など、宗務に一番精を出している坊さんが五濁にまみれて、悪弊悪習が改まることはありません。

 

ということで、坊さん自体が六根清浄など出来ない信仰心で、大きなことを言う大石寺の六根清浄とは自宗の傷は見ない、聞かない、知らない、言わない、感じなくなるということが清浄な六根と脳内変換されますw。