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正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

大石寺文化考:語句変換【末法の付属】

大石寺では末法にこだわりを持って、題目弘宣の旗印に地涌の菩薩の上行菩薩が法華経の釈迦より広宣流布の依頼を受けたとしています、が、しかし。遺文にはそれとまっこう反するものがあります。

薬王品に教主釈尊、多宝仏と共に、宿王華菩薩に語つて云く、我が滅度の後、後の五百歳の中に、広宣流布して、閻浮提に於て断絶して悪魔魔民諸の天竜夜叉鳩槃荼等に其の便を得せしむこと無けん」(曾谷入道殿許御書・文永十二年)

 ここでは宿王華菩薩がその主体になっています。上行菩薩ではありません。さらにその菩薩も一人ではないようです。

日蓮は草木の如く師匠は大地の如し、彼の地涌の菩薩の上首四人にてまします。」(華果成就御書・弘安元年)

「是くの如き十神力を現じて地涌の菩薩に妙法の五字を嘱累して云はく、経に云はく」(如来滅後五五百歳始観心本尊抄・文永十年)

この両文ともに佐渡流罪以降の文書ですので色々有った上で書かれたものですね。ここでは一人ではなく四人が出て来るとか、地涌の菩薩全体だとの意図が伺えます。そしてこんどは自身が上行菩薩との自覚を吐露した曼荼羅があります。

★「大覚世尊御入滅後二千二百二十余年を経歴す。爾りと雖も月漢日三ヶ国之間未だ此の大本尊有さず。或は知って之を弘めず或は之を知らず。我が慈父、仏智を以て之を隠し留め末代の為に之を残す。後五百歳之時、上行菩薩世に出現して始めて之を弘宣す。

文永11年12月日、甲斐国波木井郷山中に於いて之を図す」

ここでは打って変わって自身が上行菩薩だと書いています。文永十一年では宿王華菩薩が広宣流布をする→文永十二年では自分が上行菩薩、そして文永十年では→地涌の菩薩達、弘安元年では→四菩薩が出てくる。

これだけ見ると、別に僧侶が特に譲られたとの話ではなく菩薩の自覚有る人ならいいんじゃないの、という読み方も出来ます。

ということは、日蓮さんも恐らく脳内は整理できてなくて危ない精神状態の人と見えるのですが、そんなことはお構いなしに大石寺では一括変換で「すべて御本仏の方便」と読ませるようですw。