正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

大石寺文化考:カンニング

大石寺で信者になれば、その家の過去帳に載っていた先祖の戒名はすべて俗名に戻されるか、改めて申請して戒名(法号ともいう)を変えるしきたりになっています。

754年、東大寺鑑真和尚を招いて授戒が行われて本格的となりました。このとき日本での授戒第一号が聖武天皇です。戒名は「勝満」と授けられました。(戒名)

これを見ても日本での初期の戒名は非常にシンプルで、日蓮が父母に付けた戒名も○○院法○日○居士という形式ではなく以下のようです。

◎父・妙日尊儀(貫名次郎重忠公)正嘉2年(1258)2月14日没
◎母・妙蓮尊儀(妙蓮尊尼とも、梅菊御前)文永4年(1267)8月15日没

これが時代を経るとなぜか禅宗がもたらした戒名の付け方に準じるようになります。いわゆる○○院として名前の一字を中に入れ信士とか信女とか下につけるスタイルです。

特定の人の戒名に院号(院殿号)を冠するようになったのは、もともと退位 して出家した天皇の住居を「院の御所」と称したことに由来し、冷泉天皇が没したとき、その戒名に冷泉院と称したのが始まりといわれています。

その後、歴代の天皇や皇族、貴族などに用いられ、さらに、院(寺)を建てるか、それと同じほど仏教に貢献した大名や篤信者などにもつけられるようになりました。位 号についての古い記録では、奈良時代の高僧、行基が、大仏建立に当たって、身を借しまず協力してくれた多くの信者たちに、優婆塞(信士)・優婆夷(信女)の位号を贈って、その功に報いたといわれます。

詳しくはココが参考になりますが、釈迦の時代には戒を授ける授戒はあってもその際に戒名授与とかありません。外道から弟子入りした目連も舎利弗も名称はバラモン時代のままです。

ちなみに大石寺の開基檀那の南条時光は戒名(法号)は院殿でも日号もなく大行尊霊(だいぎょうそんれい)というシンプルなもの、しかもこの法号は自分で名乗った道号名をそのまま戒名にしたようです。今の戒名とか院殿号とか日号とかは後代に世間の手前、禅宗などを参考にしてつけるようになったことがバレバレです。