正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

大石寺文化考:ブランド好き

コンプレックスの強い人は何か身を飾るためにブランド志向になる傾向が多いのですが、こういう話があります。

市石さんは青年時代、神田の書店に勤める店員だったそうです。当時の御住職の御指導のもとに〝何とかして一人でも折伏を〟と店に来るお客をつかまえては、折伏を展開していたそうです。
偶々たまたま出会った客の一人に、北条つね子さんという方がおられました。
 「何か為になる宗教の本はありますか」
と尋ねたそうであります。すると市石さんは、即座に
「本当の宗教を知りたいなら。日蓮正宗の本が一番です。」
と答えたそうです。この一言がきっかけとなって、本宗へ入信することができたのです。
この方は、元貴族員議員であった北条雋八(しゅんぱち)氏の実姉であります。北条家は大聖人様に敵対した鎌倉北条家の子孫であります。
或る日、北条さんが常在寺に参詣してこられた折のことであります。
北条家は大聖人様に敵対した罪障の深い家柄なので、一生懸命信心させて戴いて、罪障消滅させて戴かなければいけないのです。」と、気さくに所化の私に語って下さいました。(日正寺だよりH270501(179号)より)

この赤線の部分は何かの勘違いだと思われます。 北条つね子氏の弟さんは北条雋八(しゅんぱち)氏という人ですが、この方の家柄と鎌倉時代北条氏とは何の関係もない後北条氏で、鎌倉時代の北条家は既に室町期に入る前に滅亡しています。

北条氏の祖は、関東地方で勢威を振るった北条早雲である。しかし北条氏天正18年(1590年)、豊臣秀吉小田原征伐により滅亡してしまう。戦後の処罰により、北条氏第4代当主・北条氏政北条氏照戦争責任を問われ切腹となったが、第5代当主・北条氏直徳川家康の娘婿であるという所以から、北条氏規北条氏康の五男で氏政、氏照の弟)は和平に尽力し、秀吉とも会見していたという経緯から特別に許され、高野山での蟄居を命じられた。
天正19年(1591年)、氏直は嗣子無くして30歳の若さで死去した。このため、北条氏嫡流は断絶したが、氏規がその跡を継いで後北条氏の当主となる。(小田原北条氏後北条氏

ちょっと歴史をたどればこういう結果になるのですが、なんとかして信者の中に飾り物はないかと努力しているんですね。しかも創価学会の四代目会長第四代会長の北条浩さんは、北条雋八さんの甥(おい)に当たる。「先祖は河内狭山藩初代藩主の北条氏規」(Wikipediaによる)であり、さかのぼってゆくと、北条氏康北条氏綱北条早雲に至る。

この指摘はアチラこちらのブログやサイトでされていますので、「日正寺だより」も訂正したほうがいいかとw。