正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

大石寺文化考:集金の言い訳

去年からまた大石寺の施設修復の募金(集金だが御供養とも言う)が始まっているようです。で、こういう信者に金を募る体質ですが、坊さんは言わずに信者代表に代理発言させてさも篤信の行為であるかのようにいうシステムのようです。

奉安堂建立事業と関連付帯事業の御供養のことでありますが、御供養については、前々から申し上げておりますがごとく、これは勝手にできるものではありません。そこに、この度の御供養は50年に一度(ひとたび)来る慶祝記念事業の中の御供養であります。この御供養の功徳は、私の体験から申し上げますならば、すべてに亘って行き詰まって塞がってしまった、どうにもならない境界でも、不思議と御供養の御功徳で知らず知らずの間に、大きく広がる境界に転換していただけるのであります。そこに有り難いのであります。

 しかし、また宿業でありますから、そう簡単に判るものではありませんが、この類の宿業は意外と転換は早いのであります。それは利益を戴くからであります。ところが信心のない者が、名聞のために法外の借金をしたり、また、利益欲しさのために小細工をする。そこに真実の御供養を知らない者の落ちる落とし穴があって、その結果、法を下げるのであります。

 御供養は毎日、毎日の信心の積み重ねであります。金のあるなしにかかわらず、また老・若・幼に関係なく、1日は24時間しかありません。故に連合会は、『薬草喩品』の「三草二木の譬え」のごとく、小は小なり、大は大なりに、毎日の積み立てをもって基本としていきたいのであります。また、その目安としては、1日100円の積立貯金を提案したいのでありますが、皆様、いかがでございましょうか。

 そこに塵も積もれば山となるがごとく、目標以下の人はその目標に向かって、また、それ以上の人は自分で目標を設定して、大きく功徳を積む。そうして自由に伸び伸びと、また、御供養は毎日が明るく、楽しくなっていく生活でありますから、毎日の心掛け、精進により、知らず知らずの間に境界も開き、自然と仏祖三宝尊を敬う功徳により、安心した生活ができるのであります。(平成11年1月16日号・大白法|総講頭・柳澤喜惣次発言)

 この赤文字部分、発言主は何の根拠があってこういうこと言うんでしょうね。ちなみにこの方はすでに物故されていますが、こうならなかった人への責任は誰が取るんでしょう?それを疑うことは信心がないって、一言なんでしょうかね?