読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

大石寺文化考:めくらまし

信仰を続けているのに、何ら変化はない、しかも徐々に悪くなっていってるような気がする。こういう心境に陥った信者に向けたマニュアルもちゃんとあるようです。

皆さんの中には信心の年数はたつけれども、なかなか自分として功徳が実感できない。信心の歓びや歓喜が湧いてこないと嘆いている人がいるかも知れません。
しかし、大聖人様の仏法の功徳と仏の慈悲は、総ての人に平等に注がれているのです。
功徳の違いは何かと言えば、それは自分の持って生れた境涯の違いや宿業の違いや、信心の実践の違いによって生じるのです。
原因は、全て自分の側にあるのだということをよく考えて頂きたいと思うのです。日蓮正宗・寺院サイト)

赤文字部分が重要ですが、功徳がないのは信仰の自己責任を押し付けているだけで、こちらの仏さんは利益を満遍なく感じさせる能力はないと言ってるようなものですね。さらに自己責任を押し付ける言い訳は日蓮遺文から用意されます。

この仏法の鏡、大聖人様の教えを通して、我々の過去や未来を判ずるならば、自ずと現在の境涯を照らして、ある程度の過去の業因が写し出されて分かるのだと、大聖人様は、そのように説かれているのです。

「過去の因を知らんと欲せば其の現在の果を見よ。未来の果を知らんと欲せば其の現在の因を見よ」(御書571頁)
という、大聖人様が『開目抄』に引かれる有名な経文の一節があります。

日蓮系の信者がよく引く赤文字部分は心地観経という経典から引いた事になっていますが、残念ながらこの経典にそんな言葉はありません。つまり日蓮さんが言い訳に使っている自己責任のこの文証は、目くらましの空手形ってことです(笑)。