正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

大石寺文化考:罵る教義

平成二年の暮から起こった大石寺創価学会のバトルは、延々続いているようで、どちらも引かない様子ですので、このまま行くのでしょうね。

当時の貫首であった阿部日顕氏が池田大作氏を「増上慢」と罵れば対抗組織は「無相承法主とやり返す。場外の私などは慈悲を掲げる宗教者の罵り合いは、なかなか面白いなと拍手喝采ですが、どちらもこちらが正統と言い合ってるので、共倒れするまで続くんでしょうねw。

ところで、マシな説法など聞けない双方の法話ですが、共通しているのは末法法華経を強いて説くという手順、でもはたしてそうなんですかね?

もしある人が、
「きっと皆、私のことを法を説く指導者、説法者と思ってくれるだろう。」
と、ひそかに考え、人々の尊敬と賞賛を得る目的で、法の説示を行った場合、残念ながら彼は、善き功徳をほとんど得ることはできないだろう。
逆にある人が、人々からの尊敬や賞賛などはまったく眼中に無く、
「ただ解脱に至りたい。そのために多くの波羅蜜を積みたい。」
という一心で法を説いた場合、しかも、自分が修行し、実証し、精通したダンマだけを人に説いた場合、彼は、溢れんばかりの功徳を得ることができるだろう。
およそ、ダンマデサナー、法の説示、という善行は、かくのごとく行われなければならない。
サンユッタニカーヤの巻の二の百九十九において、お釈迦様は、ダンマを説く指導者を、二つのタイプに分類されています。(ダンマを語る

大石寺怪しい板をかざして、独善的にこれを拝まなきゃ成仏できない、とか鑑定にも出せない代物を掲げるよりも、ちっとは鎌倉時代アナクロ教判を下げて、最新の仏教学に添った証明でもされれば、振り向くくらいの成果は有るでしょうに。