正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

大石寺文化考:最後の切り札・成仏

御利益は別に正宗でなくとも他宗の神社仏閣のほうにも顕力がある、という事実には否定できない説得力がありました、それは正宗サイトでも認めてます。そこで最後の砦となるのがうちの宗派は成仏できる、というロジックです。

妙法蓮華経には無量の福徳がそなわっていることを示されています。
さらに、そのはかり知れない功徳も、
「功徳とは即身成仏なり、又六根清浄なり」(御義口伝 新編1775頁)
と仰せられているように、「即身成仏」「六根清浄」の境界を得ることに極まると教示されています。
すなわち、何ものにも脅かされない安心立命の境界の確立と、生命の浄化、そして物心両面にわたって福徳に満ちた人生を築くことが、妙法信仰の功徳なのです。(日蓮正宗寺院サイト)

この赤文字部分は全く説得力がないですね(しかも偽書引用)、ある有力僧侶の若手僧侶への暴力事件ですら片手落ちの始末。 ハレンチ僧侶の処遇の曖昧さ、寺の金を横領する僧侶など、そういう人格を輩出する体質など、一番に正宗に伝わる法の体現をしている坊さんのどこに即身成仏の根拠と現証があるんでしょうね?

かとおもえばこんな日蓮遺文をあげて即身成仏の根拠とするようです。

「仏に成り候事は別の様は候はず、南無妙法蓮華経と他事なく唱へ申して候へば天然と三十二相八十種好を備うるなり、如我等無異と申して釈尊程の仏にやすやすと成り候なり」(新池御書・真偽未決)

これもおかしな遺文です、偽書濃厚の御義口伝という書物には以下のようにあります。

久遠とははたらかさず、つくろはず、もとの儘(まま)と云ふ義なり。無作の三身なれば初めて成ぜず、是動(はたら)かさゞるなり。三十二相八十種好を具足せず、是繕(つくろ)はざるなり。本有常住の仏なれば本の儘なり。是を久遠と云ふなり。久遠とは南無妙法蓮華経なり。(御義口伝) 

ね、三十二相を肯定しながらも別では否定してるって、いい加減でしょw。