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正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

大石寺文化考:供養に特別と普通があるらしい

大石寺では布施のことをそう言わず、供養と呼ぶそうです。供養と布施の違いはこの教団では曖昧で、布施=供養と捉えても問題なさそうです。

で、ここの教団では普通の供養と特別に当たる供養が設けられているようで、この特別とは、教団が指定した日時に有る目的を持って(建物修復や記念法要)集金することを特別御供養と言ってます。

特別御供養の勧募が始まります。心を込めて御供養させて頂きましょう。
信仰は義務ではありません。しかしながら義務ではない所を自発的に 「~させて頂きましょう」 という報恩感謝の念を以て信心活動に励むことが大切で、そこに莫大な功徳が頂戴出来るのです。
誰かに言われたから仕方なしにやった、と言うのでは、たとえば同じ御供養を申し上げたとしても、頂く功徳に隔たりが存すると思います。

御供養によって多大な功徳を頂く要件が2つ拝せられるように思います。
その1つは持経者が疲弊して困っている時に奉る御供養、これは法華経の命を永らえさせる功労があるからです
2つめには自分自身が食うや食わずで困窮している時に、自分にとって無二の資財を奉ること、これはまさに命を仏法に投げ出す功労があります。
(中略)
この特別御供養はまさに時期・状況ともに御書に拝せられる、多大な功徳を頂戴できる状況に当たっているように思います。(特別御供養のすすめ

で、なんとなく怪しい金集めでよく個別の寺で修復のために檀家に一件あたりいくらという趣旨の文書が回ってきたりしますけど、これとどう違うんでしょうね、言い訳としてこういう発言があるようです。

そもそもこの「特別御供養(日蓮正宗護持弘宣資金)」自体、御宗門からの指導や、まして指示等で決定したものではありません。この件は、全国の講頭の意見・要望により、御宗門に対して発せられたものであります。」

『第2回目の講頭会の時でしたが、総講頭、大講頭乃至全講頭の一致の決議によって『護持弘宣資金』という特別御供養を行う、すなわち、宗門のあらゆる面における護持と弘宣という意味の資金を御供養したいという決議がされた』

あくまでも信者側の善意で進言されたと言うらしいですが、 だったら勧募などせずにこの代表者だけでやればいいのに、わざわざ告知して振込用紙まで用意しているので、言わずもがなの尻尾は隠せないようです。