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正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

大石寺文化考:ピンぼけ菩薩

布施といわず供養のみという考え方も釈迦の時代とは全く違うようですが、大石寺ではその他に菩薩の誓願と言われる四弘誓願もおかしなことになっています。

総の誓願(総願)とは、すべての仏・菩薩に共通する誓願で、四弘誓願などをいいます。
 仏法では、小乗の人であれ、大乗の人であれ、菩薩と言われる人は、基本的に、生涯を通して四つの誓願を立てる。また立てることが必要だということを言われております。これを四弘誓願(しぐせいがん)と申しまして、仏道修行の上における非常に大切な肝要を説かれたものであります。(菩薩と申すは必ず四弘誓願ををこす・誓願について

これはスローガンみたいなもんなんでしょうね、四弘誓願(詳細はココ)というのは他宗では坊さんが出家の際、もしくは一人前の僧侶となったときには必須の項目なんですが、ここの坊さんはこれを信者に押し付けることが誓願のようです。

★この四弘誓願の一番初めに衆生無辺誓願度を立てる理由について、大聖人様は『御講聞書』に、

「所詮四弘誓願の中には衆生無辺誓願度肝要なり。今いま日蓮等の類たぐいは南無妙法蓮華経を以て衆生を度する、是これより外ほかには所詮無きなり」(御書 一八六二頁)

と仰せであります。

すなわち、菩薩は自らの煩悩を断尽することなどよりも、まず一切衆生を救うという化他を第一に重んずることを本分としているからであります。(2014年・十一月度 広布唱題会の砌・日如)

私は寡聞にして現代で日蓮正宗の坊さんが他宗との人と法論した、乃至は公開討論しているの見たこと聞いたことないんですけどね。

もっといえばエホバのようにに布教で歩いている姿なんて、全くないですけど。でも信者さんは勧誘ノルマ与えられてあっちへ行きこっちへ行きして四苦八苦しています。でも信者は四弘誓願なんて関係ないでしょう。坊さんは命令するだけが正宗の四弘誓願のようです。

そして、この誓願もルーツたどれば実はまったくアホらしいことなんですけど、それは次回にw。