正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

大石寺文化考:一生成仏の言い訳

大石寺では一生成仏のことについて、サイトや出版物で本尊を信じて修行すれば必ず一生のうちに得果を為すと説かれていますが、但し書きが付きます。

法華経の行者は如説修行せば必ず一生の中(うち)に一人も残らず成仏す可し、誓えば春夏田を作るに早晩(わせおく)あれども一年の中には必ず之を納む、法華の行者も上中下根あれども必ず一生の中に証得す」(一念三千法門) 

これは比較的初期の遺文ですが、赤文字に注意です。誰でも題目唱えたら成仏じゃないんですね。所や命の及ぶほどの法難=如説修行がないと成仏しないんですね。それ以外にお布施や折伏、現代では目標設定された加入ノルマ、団体登山、さらに寺の行事参加等々・・これらを督促するためにいいことばかり表に出して、入信すれば過酷な修行が待っているということです。そのサンプルです。

大聖人様は、本抄(注補足・一生成仏抄のこと)で、一生成仏の要諦につき、私たち凡夫の生命の奥底に妙法蓮華経の生命を具えていることを示され、一心に信心修行に励むことによつて、煩悩即菩提・生死即涅槃の悟りの境界を得ると教えられています。
 『譬喩品第三』に、「仏常に教化して言のたまわく、我が法は、能よく生老病死を離れて、涅槃を究竟す」(法華経
とあります。生とは、仮に和合した色・受・想・行・識の五陰が身を成すことをいい、この身の和合が解けるのを死といいます。

こんな甘言で釣ろうとしますが、太文字の所など大間違いです。五陰仮和合などといいますが、これは色(物体)と他の4つの項目(受・想・行・識)は、そもそもどこにも実体なるものが無いという事を確認するために原始仏教で持ち出された瞑想のための概念です。それが中国で天台大師にによって歪められて一念三千の構成要素とかになったようですが、根本からアウトです。

てなことで、これでは浄土系の阿弥陀如来の本願に任せている方が時間の節約にもなり、合理的です。