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正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

大石寺文化考:一闡提人の由来

救いがたい人の罪障に五逆罪というのがありますけど、一闡提はそれを越えるようです。

大乗仏教を謗る者と三病、世のなかに極重なり。世に三人あり、その病治しがたし。一つには謗大乗、二つには五逆罪、三つには一闡提なり。(涅槃経) 

律や戒を無視する正宗には関係ない仏教教団の律法ですが、そこに四重禁、五逆罪というのが有ります、それに触れたあの提婆達多を上回る罪が「一闡提を除く」と書かれてあって、その理由が「無目なるがゆえに」と「非法器なるがゆえに」だそうです。こういう一闡提排除の理論は法華経にも見られます。

◎或いは阿練若に、納衣にて空閑に在りて、自ら真の道を行ずと謂いて人間を軽賤する者あらん。
利養に貪著するが故に、白衣のために法を説きて世のために恭敬せらるること六通の羅漢の如くならん。
この人は、悪心を懐き、常に世俗の事を念い、名を阿練若に仮りて、好んで我等の過を出し、しかもかくの如き言を作さん、「この諸の比丘等は、利養を貪らんが為の故に、外道の論議を説き、自らこの経典を作りて世間の人を誑惑し、名聞を求めんが為の故に、分別してこの経を説くなり」(法華経勧持品)

有名な勧持品二十行の偈ですが、日蓮遺文でも確認できます。この経典に出てくる「利養に貪著するが故に、白衣のために法を説きて世のために恭敬せらるること六通の羅漢の如くならん」とありまですが、この解釈について興味深い見解を出しておられる方が、日蓮宗の僧侶でもある望月良晃氏です。

月氏は、これらの一闡提概念が仏教経典に出てきたのは、上座部から独立した大衆部内の在家信者からの供養・利養争奪の争いと指摘されています。

月氏は詳細な経典検証の上で「法華経の「勧持品」の中で、以下のように論じておられます。

「外道の論議を説くなり」と言ったことからいわれるのですが、自らは外道でないことは自明なのです。大乗に属しながら、異端なこと、新しい説を称えたことに対する攻撃の言葉が返ってくるわけです。原語にもちゃんとでているのです。」(望月良晃氏・法華経教団と涅槃経教団)

と一闡提名称の由来を指摘されています。これだけではちょっと理解し難いのでその経典部分と説明箇所をピックアップしてみます。

「また文殊師利よ、菩薩摩訶薩は、如来般涅槃の後、正法滅尽の時において、この経を受持しつつ、その菩薩摩訶薩は嫉妬の心なく、誑惑なく、虚偽の心を抱いてはならない。また他の菩薩乗を奉ずる人々に対して、誹謗のことばを発し、ののしり、非難してはならない。」(法華経安楽行品第十四)

ここに「他の菩薩乗を奉ずる人々」という言葉がでてくるのです。これはちなみに『妙法華』では、「仏道を学ぶ者、学仏道者」と書いてあるのですが、『正法華』には「他の菩薩にして大乗を求むる者」と正確に漢訳されております。「他の菩薩にして大乗を求むる者」。他の菩薩乗というものがあるわけです。
だからここに説かれるように、菩薩乗を奉ずる別の立場の人々が存在したということが明らかであり、ここには大乗間の争いがでてくる。

これが「法師品」をはじめとする「勧持品」「安楽行品」と法華経で続いていくわけです。ここには大乗教団内の利権争いのような醜い論争、あるいは闘争が行われたことが考えられるわけです。
『涅槃経』においても、自ら一闡提が「菩薩、摩訶薩なり」と名乗っている。(中略)一闡提は他の菩薩乗、あるいは他の大乗というふうに考えていただきたい。(望月良晃氏・法華経教団と涅槃経教団)

 こうした大乗教団内で新義を唱えて異流儀となりながら、寺の中で在家信者から供養を受けるものがいることに腹立たしい思いを抱いた人たちが経典に書き残したということですね。つまり一闡提とは大乗門内・異流儀の蔑称だったということが明らかになったわけです。