正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

大石寺文化考:辻褄あわさない杜撰さ

大石寺の板本尊は弘安二年十月に造立されたということになっています。もちろん文献的な根拠はありません。しかもその際に小さな御影像も作ったことになっており、これを作った人は弟子の日法という人であることが富士年表という正宗公式の記録年表に載っています。

1258年 日法 下野小山に生まれる
1271年(文永八年)日法(日弁の弟子)日興を介して大聖人の室に入る
1279年(弘安2年)10月戒壇本尊彫刻
1341年(83歳)和泉公日法寂 (引用元・富士年表)

この富士年表によれば日蓮から報奨の意味で「彫尅(彫刻)阿闍梨」を賜ったとなってます。弘安二年といえば、日法の教化師匠の日興も阿闍梨号は頂いていません。

「一、日蓮聖人御影 居長三寸 一体(中略)日法右板本尊並に此像を作り奉り称美の為に有職を彫尅阿闍梨と賜ふ、又此御影像日法作る所に相違無きの条自筆の手形一通之有り」(富士宗学要集・5巻:334~335頁)

この頃には日昭(弁阿闍梨)、日朗(大国阿闍梨)は阿闍梨を公称してますが、日蓮の「遷化記録」(日興筆・弘安五年)に当時の阿闍梨号が記録されています。

弘安五年壬午九月十八日、武州池上に入御地頭衛門大夫宗仲。
同十月八日、本弟子六人を定め置かる此の状六人面々に帯すべし云々。日興一筆なり。
   定
一弟子六人の事 不次第
一、蓮華阿闍梨 日持
一、伊与公   日頂
一、佐土公   日向
一、白蓮阿闍梨 日興
一、大国阿闍梨 日朗
一、弁阿闍梨  日昭

この日興の教化に預かったのが 日法とその師である日春なんですが、日興が白蓮阿闍梨と公称したのは、弘安五年初頭と推定されてます。おかしいですね、日法が(1258年生誕)日蓮より頂いたとされる阿闍梨号が弘安二年(1279年)日法この時21歳。ちょっと無理がありますよね。

なぜかならば身延山の『墓所可守番帳事』(日興筆)には月交代の所に「八月 和泉公・治部公」が墓守という順番担っています。

この和泉公というのが日法です、ね、阿闍梨号を日蓮から貰っているのにそれを筆記しないで和泉公という記録になってんです。

つまり日法の彫刻阿闍梨は後付で、板本尊を後代に作った時に他門流で彫刻の名手として日法の名が轟いていたことに乗っかってさもそれらしく整えたんでしょうが、捏造は捏造ですので、こんなところにもボロが出ていますw。