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正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

大石寺文化考のまとめ

去年からずっと考察してきましたが、結局大石寺圏って文化と言うか人間の情緒に訴えかけ、なにか世の中的に貢献、醸成するようなものは皆無でしたね。

ここの信仰といえば折伏大石寺総本山に参詣することだけで、余裕というかゆとりというか、そこから醸し出される生活の潤い的な芸術や文化的なものは見つけられませんでした。これって信仰の中に何もないってこと。

建物一つ見ても新建材で覆われた情緒を排した無機質なもので、あれでよく人の心を潤せるなんて考えてるんでしょうか?

禅といえばお茶やお花の文化を生みました、また畳の空間もそうです。密教はきらびやかな仏菩薩の世界観で魅了します。念仏も浄土という次の世界へいざなうことで悪人も善人も分け隔てなく仏の限りない慈悲を情緒に訴えかけます。

五老僧門流の日蓮系には日本画などの芸術面などに際立った影響力、発信力がありました、でも日興系の大石寺って何もないんですね。同じ題目唱えながら大石寺信者にも何百年家の間に誰か世の中的に貢献度の高い人がいるかなと思いましたけど、ゼロ。実に文化不毛の教団です。

近年ではユーチューブなどでアップされている有名なあそこの貫首さんの程度の低いこんな発言あんな発言、そして近年の信者の懐狙った集金体制とズサンな信仰指導

積年の鬱憤がたまった状態で創価学会を切ったときには何か理想実現みたいなものが有るのかなとウォッチングしていましたが、二十五年も過ぎると色々魂胆があらわになって、いまの集金体制や信者勧誘の無策さ、それを指導する坊さんの無能力さを考えても創価学会が広めた信者と金を取り込もうとする欲望だけだったということでした。

あの時の貫首さんは、切ることだけが目的ゴール化して、それ以降何も考えていなかったようです。

それはかつての日本が開戦が目的で相手国の民族力や工業力、情報収集力を考えず、精神論でいけると思ってた軍部と同じような感覚ですね。

さてこの迷走がいつまで続くのか?目が離せないこの教団、まだまだウォッチングは続きますけどね。