正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

ホントの仏教に見る殺の罪過

日蓮さんは一切経を閲覧したそうですが、見落としの多いことと、明治以降もはや通用しない天台大師の教判をベースにしてますので、その経典の解釈については強度の色眼鏡だったようです。

涅槃経を日蓮は信用したようですが、それは大乗の涅槃経で、そこには大凡実在した釈迦が説かないような武器の肯定や殺人肯定が示唆されています。阿含部の涅槃経と大乗の涅槃経では真逆の教えが沢山出てきます。

実際的には阿含部の涅槃経が釈迦の最後を伝える経典です。大乗仏典はその派生で阿含部で釈迦の佛教は一括り終了してるんです。

それなのに天台大師の教判では初転法輪のあと華厳が先に説かれ、ついで阿含部となります。阿含部の涅槃経が有るのに、さらに方等部へと進むことを矛盾とも感じない事自体が法華経最高の結論ありきの教判です。

さてその例として阿含経相応部には釈迦の前に現れた国王やバラモンの指令のままに殺戮を繰り返してきた武士の長が自慢して釈迦に尋ねています。殺や武器を肯定する大乗涅槃経とは全く違うプロットとなっています。

「お釈迦様の傍に座った武士の長は世尊にこう尋ねました。

”およそ戦に臨み、死にものぐるいに戦場で奮戦し、戦の最中に敵に殺されたならば、彼の武士は身体が壊れ命が尽きたのち、死後サランジタ天(英雄たちの天界)に生まれる”

と私は聞きました、偉大なる先生はこの教えについてどう思われますか。(阿含経相応部・六処篇第八聚落主相応三)

お釈迦さんはこの問いに「やめなさい、そういうことを私に聞くものではない」と質問を二度も退けます。しかし武士の長は三度質問をしたので仕方なくお釈迦さんは

「もし汝らが”およそ戦に臨み、死にものぐるいに戦場で奮戦し、戦の最中に敵に殺されたならば、彼の武士は身体が壊れ命が尽きたのち、死後サランジタ天(英雄たちの天界)に生まれる”ということを信じているなら、これは邪見である。

武士の長よ、邪見を持つものの来世は二通りである、それはサラージタという地獄、または畜生であると、私は説いている」(同経典)

これを聞いて武士の長は、長い間このことを信じて騙され、欺かれ、たぶらかされていた、と号泣しました。続いてお釈迦さんの教えではどんな理由があろうとも生命を殺すことだけは賛成してはいけない。賛成するということは心が同調しているということで、何もやっていないのに殺生の罪が自分にかかってくると、説かれています。

以上を見ると、無知とはいえども大乗の涅槃経を前提に法華経を護るためなら殺人も可とした日蓮さん、そして末弟の戦前の大石寺法主の訓諭、それに勇を感じ戦場に臨んだ信者さんも坊さん方も・・・【あとはご推察ください】