正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

インドに一番遠い日蓮さん

日蓮さんが梵語を理解できたかどうか?残された消息文などには梵語を理解してたような空気も匂わせていますが、空海さんは中国の言葉だけでなく、梵語も理解出来てたようです。

さてその怪しい日蓮さんの見栄っ張りな梵語に曰くですが

闡提とは天竺の語、此には不信と翻す不信とは一切衆生・悉有仏性を信ぜざるは闡提の人と見へたり」(顕謗法抄)

前にも一闡提のことはこのブログで扱いましたココから、ココまで大乗教団内で新義を説く人としました、この顕謗法抄の天竺の言葉は明らか梵語のことですね。さてシッタカが多い日蓮遺文でここでもボロを出しています。

一闡提(Skt:Icchantika、イッチャンティカの音写、いちせんだい、いっせんだい、略して闡提=せんだいと呼称する)。一闡底迦、一闡底柯とも書く。信不具足、つまり仏法を信じず誹謗する者をいう。多くの仏典では断善根、信不具足と訳されるが、これは今日の仏教学では意訳とされており、字義通りに翻訳すれば「欲求する人」というのが正しい。(一闡提・仏教辞典)

信不具足で不信とは書いてないですね。その語源については未だに種々に論議されていますが「断善根」「信不具足」などと漢訳されるが、これは意訳で殆ど「欲する者」のが適切な意味、それは他人の得る世俗的な利益をみてこれに嫉妬して、それを得ようと願う者の意味であったらしい。

田上:欲っぱりで、釈尊が説かれた教えというものを全然守られないという人間で、欲の皮の突っ張っているという、そういう人間を最初に考えたわけです。ですから「イッチャンティカ」という、そういう言葉は、もともと釈尊のご存命中のところにもあるわけですけれども、ここでは単なる強欲な人間というだけでなく、学者の間でいろいろと研究をされて、「イッチャンティカ」つまり「一闡提」を、どういう人物であるか、というので、いろんな論文で説を出しているわけですね。

その大きなところは、今言った「強欲」ですけれども、今一つは、「教団を非常に撹乱する人間」という人物である(ブッダの最期のことば・田上太秀氏)

ということですね、日蓮さんってこれで大石寺圏では末法の御本仏だそうです。色々検証すると、とりあえず日本のことにも疎かったようですが、ましてやインドの言葉などとても智慧は及ばなかったようです。