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正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

得意満面、天竺の言葉

日蓮さんの教相判釈は天台大師の五時八教がベースになっています、でも実は当時の仏教界で信任された教判ではなく、各宗それぞれにお経の判別観を設けてたので、天台大師のも一説ということです。

この教判は、法華経こそ釈迦の本意という結論ありきであることは明治以降に西洋から流れてきた仏典成立の文献学で嘘はバレバレです。

 

で、日蓮さんの初期遺文「守護国家論」には各重要経典に明かされている経典成立の過程を一応抜書きしてますが、最後はいつものお約束へ落とし込んでいます。

「問うて云く方等とは天竺の語、此には大乗と云う華厳・般若・法華・涅槃等は皆方等なり何ぞ独り方等部に限り方等の名を立つるや、答えて云く実には華厳・般若・法華等皆方等なり然りと雖も今方等部に於て別して方等の名を立つることは私の義に非ず無量義経・涅槃経の文に顕然たり」(守護国家論

と、もっともらしく大乗経典のカテゴリーを意味する「方等」という言葉で大乗経典の華厳・般若・法華・涅槃を括りますが、それを天台の五時八教にある方等部というカテに無理くり入れ込んで、ほら法華が最勝でしょ、と目眩まししています。

日蓮さんはその証明に無量義経・涅槃経の文があるという引証をしてます。一例として涅槃経に見てみます。

「何等(なんら)をか名付けて毘仏略と為す。所謂(いわゆる)大乗方等経典はその義広大にしてなお虚空の如し。是を毘仏略と名付く」(大般涅槃経・十五)

御覧ください、得意満面で引っ張ってきた大乗方等経典のホントの意味、方等(サンスクリット語:Vaipulya、音写:毘仏略)とは、平等の真理、つまり普遍平等なる真如の理を意味するんです。

別の翻訳では方広(方廣)とも訳しますが、これは広大な教義を意味します。つまり広く増し発展せしめられた教えで、故に方等経の中でも、特に優れた経典を「大方等」や「大方広」と呼んで(例えば大方広仏華厳経)経典の頭に冠するようです。

ということで、この程度の部分でもボロが出ているのに、有り難いと無知の信者を今でも翻弄してんですね、いい加減な日蓮さんの天竺の言葉でした。