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正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

それでは悟れません。

日蓮さんの肝心中の肝心である題目ですけど、以下の遺文にインドの梵語ではこうですと、エッヘンしています。

◎「初地の大聖の大智度論千巻の肝心に云く「薩とは六なり」等云云、妙法蓮華経と申すは漢語なり、月支には薩達磨分陀利伽蘇多攬(さだるまふんだりきゃそたらん)と申す」(開目抄)


日蓮正宗寺院サイトの解説)「南無妙法蓮華経」というのはインドの言葉で「薩達磨分陀利伽蘇多攬(さだるまふんだりきゃそたらん)」(全二〇九)ということが説かれています。つまり、釈尊自身が法華経を説いた「薩達磨分陀利伽蘇多攬」という意味

で、知ったかしている日蓮さんですが、漢語に訳されたバージョンと梵語の発音を比較してみましょう。

◎薩達磨分陀利伽蘇多攬(さだるまふんだりきゃそたらん)

◎「saddharma-pundariika-suutra(サッダルマ・プンダリーカ・スートラ)

 

薩(サッ)は菩薩の薩で正しいと言う意味合い。達磨(ダルマ)は法のことでプンダリーカは白い蓮華の華、スートラは経。

音写したといっても間違いは明らかですね、幾ら梵語を漢語にする際に該当する当て字(音写)にしたと言っても、「ふんだりか」と「プンダリーカ」では全く違いますし、「そたらん」と「スートラ」では梵語のお経という意味にはなりません。

そういう音写に梵語で敬意、尊敬、崇敬を表す意味であるナモの南無をかぶせても意味は無いことは理解できますよね。

お釈迦さまの教えを嫌がる仏教徒たちは、胸を張って呪文を唱えたり、護摩供養をしたり、数珠で体をこすったり、題目を唱えながら太鼓をたたいたり、マンダラを崇めたり、いろいろな恥ずかしいことをいっぱいしています。(スマナサーラ長老・誤解は解脱を妨げる

ましてや逆に訳しても梵語にならない言葉を諸仏が成道した本尊だ、と強弁は出来ないでしょう。こんなところにもボロが出てるんですが、不思議にだれも突かないという現実。上記のように上座部の僧侶が見たら法華経といえども、これは何ですか?ということになるそうですw。