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正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

別に題目に依らなくても

日蓮さんは題目こそが衆生三悪道に落ちることを防いでくれる大良薬といいます、遺文にはこうありますね。

 

◎「日蓮が慈悲曠大(じひこうだい)ならば南無妙法蓮華経は万年の外(ほか)・未来までもながるべし、日本国の一切衆生の盲目をひらける功徳あり、無間地獄の道をふさぎぬ」(報恩抄)

(現代語)日蓮の慈悲が広大ならば、南無妙法蓮華経はずっと遠い時間をこえて、未来までも流布するでしょう。それは日本国の一切衆生の盲目を開く功徳であり、無間地獄の道をふさぐものである。

と、大石寺では題目と本尊と拝めば三悪道にいかずに成仏するというお約束ですけど、法華経如来寿量品の最後の部分に、一般的に破地獄偈というのがあります。

毎自作是念 如何令衆生 得入無上道 速成就仏身(つねに自らこの念をなす 何をもってか衆生をして 無上道に入らしめ 速やかに仏身を成就する)

この偈文では久遠の昔から法華経の釈迦様が、つねに、今この時も、生きることに苦しむあなたを、苦しみのないお釈迦様と同じ世界の無上道へと導こうと念じている、ということです。

これ密教では加持というのですが、法華経に既にこう説かれているのに、法華経にはない末法だからと、わざわざに題目や掛け軸拝む必要なかったんです。

なにせ末法の定義は実説の法華経ではない、爾前区分の方便経で、しかも中国で作られた大集経に説かれたものですし、末法仏教が日本に渡来した時には、時限的には既に末法に入っていたのですが、わざと五百年伸ばしてという談合があったのですから、日蓮さんの末法観は勝手な理屈だったのです。

題目とか三大秘法とか、法華経の破地獄偈を無視しているんですが、今更訂正できない大石寺法門は哀れです。