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正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

日蓮の大乗非仏説肯定

日蓮遺文では大乗経典はみな釈迦が説いたこと前提となっていますが、所々に本音がチラホラ出ています。

◎「第六天の魔王は仏滅後に比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷・阿羅漢・辟支仏の形を現じて四十余年の経を説くべしと見えたり、通力をもて智者・愚者をば、しるべからざるか。」(唱法華題目抄)

◎「但しすこし申すべし羅什三蔵の云く我漢土の一切経を見るに皆梵語のごとくならずいかでか此の事を顕すべき」(撰時抄・真蹟)

◎「法華経の功徳はほむれば 弥功徳まさる、二十八品は正き事はわずかなり讃むる言こそ多く候へと思食すべし。」(妙密上人御返事)

◎「法華経に勝れておはする御経ありと申す人・出来候はば思食べし、此れは相似の経文を見たがえて申すか 又人の私に我と経文をつくりて事を仏説によせて候か、智慧おろかなる者弁へずして仏説と号するなんどと思食すべし、(中略)私に経を説きをける邪師其の数多し、其の外私に経文を作り経文に私の言を加へなんどせる人人是れ多し、然りと雖も愚者は是を真と思うなり」(善無畏三蔵抄)

ね、いい加減でしょ。一番上の唱法華題目抄などは大乗経典(爾前経)は第六天の魔王が作ったらしいです、で、その第六天魔王経典の大集経や仁王経、薬師経を使って立正安国論末法にはかくなると論じているんですから無節操さに呆れます。

さて、肝心の日蓮正宗の見解がどのようなものかは以下をご覧ください。

大聖人の仏法より大乗非仏説論を見るとき、次の二点から論ずることができます。
 第一点は、日蓮大聖人が末法に出現することは二千三百余年を隔てた「法華経」に予証されているという現実です。これは「法華経」が仏の悟りによって説き明かされた経典であり、現実世界に生きている経典であるということです。
 第二点は日蓮正宗における御本仏は日蓮大聖人であり、大聖人の御教示は御書として留められ、御法門の極理たる戒壇の大御本尊と血脈相承は、今日まで連綿と継承されているということです。
 従って、大乗経典が釈尊の説か否かという議論は他宗と異なり、当宗にとっては直接関係ある問題ではないといえます。(大乗非仏論・日蓮正宗サイト)

なんだか、はぐらかしのような結論ですね、日蓮さんが末法に出現されたとか、そんなの証明もできない日蓮系の中のお約束論でしょ、しかも日蓮正宗には本仏の血脈と戒壇本尊が伝わっているからって、これも自分ちの理屈で世の中に認めさせようって某国みたいな理屈ですけどね。

結局、世の中的へ証明できなくって法華を含む大乗経典は仏説ではないと暗に認めているということです。