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正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

大石寺の本尊って・・・。

通常、日蓮宗は仏像がほぼ主体で、文字曼荼羅と併存奉安というところが多いです。大石寺日蓮宗の一番の違いは日蓮宗系は久遠の釈迦が本仏。それに対して大石寺系の主張は日蓮本仏です。

こういう建前で本尊定義も日蓮宗の仏格は釈迦如来を大事にする、大石寺系は仏像は置かず板の文字曼荼羅の前に日蓮御影像を置く形も有るようです。

で、本尊の違いにつれて、さてその御利益は「日蓮正宗の信仰をすると、どのような利益があるのか」というサイトに掲げられています。

日蓮大聖人は「経王殿御返事」に、
   『この御本尊を信ずる者は、
     (1) 病魔や障害に犯されない
     (2) 諸天善神に守護される
     (3) 福徳が増して幸福になる
     (4) どんな場合でも恐れることがなくなる
     (5) 自由自在の境遇になる        』

○「当体義抄」には、
   『正直な心で南無妙法蓮華経と唱える人は、
     (1)不幸の根源である悪心(煩悩)が、そのまま仏の
       ような清浄な生命(法身)に転ずる
     (2)悪い行為(業)は、正しい判断力を備え、仏の

        ような智慧(般若)に転ずる
     (3)苦しみや悩み悲しみは、希望にみちた自在の境界
       (解脱)に転ずる           』

○総本山大石寺第二十六世日寛上人も、
   『この本尊の功徳、無量無辺にして広大深遠の妙用
   (みょうゆう)あり。
    故に暫くもこの本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱うれば、
    則ち(すなわち)祈りとして叶わざるなく、
   罪として滅せざるなく、
    福として来たらざるなく、理として顕れざるなきなり』

法華経「分別功徳品」(ふんべつくどくほん)には、
    『この経をよく行ずる者は、
        (1) 本尊を安置する塔寺を建立し
        (2) 僧坊などの修行者の道場を建立寄進する
           境遇になる
        (3) 正法を修行する人に対して深く敬い供養する
        (4) 仏法を正しく理解して他の人に法を
           説くことができる
        (5) 行動や言葉が正しく清らかになる
        (6) 正法の善友にめぐまれる
        (7) 忍耐の心が強くなり“いかり”がなくなる
        (8) 意思や信念が固くなり、周囲の悪法に
           紛動されなくなる
        (9) 心が落ち着き、考えが深くなる
       (10) 何物にも恐れず善行をたゆまず積み重ねる
       (11) 多くの善い教えや知識を正しく生かすこと
           ができる
       (12) 感覚が鋭利となり、頭脳は明晰に、智慧は
           深くなる
       (13) 難問を解決する力が備わる

と、いい事だらけです。ところがこの御利益ついて大石寺は完全保証というようなことをしているわけではなく、羊頭狗肉というか、まぁよくある●ギの手口ですね。

といいますのは、つい最近このような事件やまたこういう事件がありまして、それが信心未熟な在家で起こったのではなく、本尊に一番近い法執行者の坊さんがやっちまったので、おやおや坊さん一人救えないのに世間に何を豪語しているのやらということですねw。

それでも相変わらず大石寺のサイトには以下のようなお約束の文言が今でも掲げられています。

日蓮大聖人が顕された一閻浮提総与(いちえんぶだいそうよ)の大御本尊には、仏様が一切衆生を救う仏力と、あらゆる災いを除いて人々を幸福に導く法力が厳然と納められておりますので、これに縁する者は大きな功徳を積むことができるのです。

ちょっと虚しいですね、坊さんですらちっとも解決しないその理由。少しずつ考察してまいりましょう。