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正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

日蓮の依経は、鳩摩羅什教

さて有名な日蓮遺文で本尊のことについて本意を定めたと言われている「本尊問答抄」が有ります。

「問うて云く然らば汝云何ぞ釈迦を以て本尊とせずして法華経の題目を本尊とするや、
答う上に挙ぐるところの経釈を見給へ私の義にはあらず釈尊と天台とは法華経を本尊と定め給へり、末代今の日蓮も仏と天台との如く法華経を以て本尊とするなり、其の故は法華経釈尊の父母・諸仏の眼目なり釈迦・大日総じて十方の諸仏は法華経より出生し給へり故に今能生を以て本尊とするなり」

 どうでしょう、最初の釈尊と天台とは法華経を本尊」なんて天台はともかく釈尊は「は?」という感想でしょうね。

なぜならば釈迦の遺言は「自灯明法灯明」で本尊を拝め、題目をあげろなど初期仏典の何処にも見いだせません、ましてや板本尊など偶像崇拝釈尊が一番に否定した事柄です。

さらに法華経は釈迦に関係しない滅後に出来た経典で法華経は、1世紀頃から徐々に出来上がった経典です。

もっと面白いのは法華経釈尊の父母・諸仏の眼目なり釈迦・大日総じて十方の諸仏は法華経より出生」に至っては日蓮さんが自分だけで思っているのは結構ですが、これこそが釈尊出世の本懐と言い出すと、もう錯誤としか言いようのない誤認です。

 

鳩摩羅什訳の各経典もインドの法華経や本来の経典とはかなり違う内容が突出していて、特に釈尊法華経というよりも日蓮の信奉したものは原典とはかなりかけ離れた羅什教と言えますよね。