正宗系観察日記

ウザい折伏を逆に伏せる(逆伏)ためのデータ記録

鳩摩羅什について寄り道

日蓮が数多ある訳者を差し置いて鳩摩羅什を信頼したのは遺文にも見られますけど、興味深い記事を見つけました。

羅什の生存していた当時の中国は、五胡十六国の時代(304~439年)で、前秦の苻堅(在位357~385年)は、長安一帯をかため、376年に北西の前涼を倒し、その勢いで華北統一に成功していました。(中略)

この長安法華経を漢訳してますが、日蓮遺文では師匠の言いつけ通り「其の経を授けし時の御語に云く此の法華経は東北の国に縁ふかしと云云、此の御語を持ちて月氏より東方・漢土へはわたし給いしなり。」となるわけです。

後秦に至っては破戒を勧めるという謗法を犯しているから滅亡は当然。」は本当か?

羅什が破戒したのは、先の呂光の後涼・姑蔵に滞在していたときです。35歳で女犯を犯しています。後秦長安では僧坊に帰らず庭園付き宮殿で美女を集めて昼は訳経、夜は酒池肉林であったことは有名な逸話です。

羅什は、お経の翻訳で一世を風靡していましたが、やはり中国に来ていて戒律を広めた僧侶とは微妙な対立関係にあったと言います。後に訪れてきた亀茲国での律を授けた出家授戒師・卑摩羅叉に恥じたといいます。

文化政策や経典訳出に力を注ぎすぎた後秦は、東晋との対決で同盟国の寝返りや独立などで国力衰微し、東晋に隷属的立場を選んでますが、それを良としない後秦の英主姚興が反乱を起こしましたが鎮圧され、四一七年後秦はここに3代34年で滅んでいます。

羅什に破戒を進めたとか謗法という理由は微塵にもありません。多くの経典と羅什を擁立して訳経に精を出しましたが、功徳は現れなかったようですね。

鳩摩羅什は四〇九年八月二十日、長安で没してますが、舌が残ったとか言う話は眉唾もので弟子の僧肇が姚興に非常に気に入られ寵愛を失った王妃が僧肇が自分の靴を盗んだようにたくらみ、その靴が羅什の座布団の下から発見される。このことが羅什と僧肇の死を招く発端となった事のほうが事実と見られています。

チベット語文献『紅史』と『漢蔵史籍』では羅什と僧肇の二人は殺害されたとなっています。どうも法華経を持していても最後は悲惨な結末ですね。

ちなみに日蓮遺文では「月氏より漢土に経を渡せる訳人は一百八十七人なり其の中に羅什三蔵一人を除きて前後の一百八十六人は純乳に水を加へ薬に毒を入たる人人なり、(諫暁八幡抄)」

と、高評価ですが、実際に大陸(アジア大陸)・朝鮮半島で流布している鳩摩羅什訳と言われる法華経と日本で日蓮などが絶賛した鳩摩羅什訳と思って流布している法華経とは経文にも違いがありカットされていたり追加分があったりで、日蓮宗等においては「鳩摩羅什訳の法華経」は添品妙法蓮華経からの流入や移動があり、羅什訳とはいえないそうです。

大石寺系教団の掲示板・東方に縁ある法華経を持した羅什のヒストリー

 という悲惨な人だったようですね。ちなみに訳僧といわれていますが、中国では破戒僧として名を馳せすぎたので、途中で還俗したようです。